精神科OT18年の僕が、息子の不登校で無力だった話

息子の不登校で無力だった

精神科で18年、精神科作業療法の専門家として何百人もの利用者さんの回復を支援してきました。

でも、息子が小1で不登校になったとき、僕は何もできませんでした。

「プロなのに」「専門家なのに」――そう思うほど、無力感は深くなりました。

これは、精神科作業療法士である僕が、父親としては無力だった5年間の記録です。

精神科OTパパについて
精神科OTパパの人のアイコン
  • 精神科病院で作業療法士18年目
  • 現在、精神科デイケアセンター長
  • 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
この記事でわかること
  • 精神科OTという専門職でも、我が子の不登校には無力だった現実
  • 医療者夫婦が陥った「専門家の思考」の罠
  • 「支援する側」から「ただの親」へ。視点が変わった瞬間
  •  5年間の不登校を経て、今中2で生徒会活躍中の息子の変化
  • このブログで伝えたいこと
目次

その朝、息子は動けなくなった

小学1年生の夏休み明け。9月に入った頃でした。

「行きたくない……」

玄関先で、息子が立ち止まりました。 ランドセルを背負ったまま、動けなくなっていました。

一瞬、保育園の頃を思い出しました。 あの時も、1年以上行き渋りがあった。

「熱は?」
「お腹痛いの?」
「何で行きたくないの?」

僕と妻は、矢継ぎ早に質問していました。

何か嫌な感じのする、少しピリッとした緊張感のある空気でした。

息子は首を横に振るだけ。 言葉が出てきません。

「理由がわからないと、お父さんたちも困るんだけど……」

今思えば、最悪の対応でした。

でもその時の僕たちは、「理由」を探すことしか頭になかったんです。

”理由がわかれば、対処できる”
精神科で働く僕も、看護師の妻も、そう考えていました。

結局その日は学校を休ませました。

「明日は行けるよね?」

そう言って、僕は仕事に向かいました。

僕は精神科のプロだった(はずだった)

手をつないでいる

僕は精神科で働く作業療法士です。 18年目になります。

統合失調症の方、うつ病の方、発達障害の方。
精神科デイケアで、たくさんの利用者さんと関わってきました。

「今日は調子どうですか?」
「無理しないでくださいね」
「少しずつで大丈夫ですよ」

利用者さんには、そう声をかけれるんです。
焦らせない。責めない。本人のペースを尊重する。

仕事中の僕はそれが出来ます。

でも。

息子には違いました。

「何で行けないの?」
「このままでは仕事もろくに行けなくなるのでは?」
「いつになったら行けるんだろう?」

頭の中は、そんな言葉でいっぱいでした。

仕事中、ふと我に返ることがありました。

デイケアで、新しく来た利用者さんに接している時。
「焦らなくていいですよ」
「ゆっくり慣れていきましょう」
「無理な時は休んでもいいんですよ」と言いながら、

(息子には、こんな風に言えてないな……)

そう思ったんです。

プロとしての自分と、父親としての自分。

その間には、大きな溝がありました。

妻も看護師、でも答えは出なかった

夜、息子が寝た後。

妻と二人でリビングに座りました。

「今日も結局行けなかったね」
「うん……」

沈黙が流れます。

どんよりと重い空気。 胸がソワソワして、落ち着きません。

妻は看護師です。僕は精神科のOT。

「医療者の夫婦なら、何とかできるんじゃないか」

そう思っていました。最初は。

でも、日が経つにつれて、わかってきました。

医療の知識と、親としての対応は別物なんだと。

「私たち、何か間違ってるのかな?」

妻がぽつりと言ったことがありました。

「……わからない」

僕はそう答えるしかありませんでした。

むしろ、知識があるぶん、「こうすべき」「ああすべき」という思いが強くなりすぎていたのかもしれません。

「理由を探さなきゃ」
「原因がわかれば対処できる」
「段階的にアプローチすれば」

頭の中は、そんな「専門家の思考」でいっぱいでした。

でも息子は、僕たちの「アプローチ」の対象じゃない。

ただの、小学1年生の男の子なんです。

それを忘れてしまうんです。

「専門家」という鎧が、邪魔をしていた

親子の会話

ある日、ハッとしました。

まだ別室登校をしていた息子が学校の話をしている時でした。

「今日ね、○○くんが……」

息子が何か話しています。

でも、僕の頭の中では違うことを考えていました。

(友達の名前が出た。対人関係は保てているのか?)
(話し方はどうだ? 表情は?)
(学校に行けるようになるヒントはないか?)

息子の話を聞いているようで、「情報」を集めていたんです。

「どうしたら学校に行けるか」ばかり考えていました。

息子が「今、何を感じているか」「何を伝えたいのか」

そういうことを、受け取っていなかった。

デイケアでの場面が頭に浮かびました。

ある利用者さんが、趣味の話を楽しそうにしてくれた時のこと。

僕は相槌を打ちながら、心の中でこう思っていました。

(この活動が、復職に繋がるかな?)
(対人スキルの向上になるかな?)

その時、ふと気づいたんです。

この人は、ただ好きな話を聞いてほしかっただけなんじゃないか?

「支援」とか「アプローチ」とか。

そんなものは求めていなかったのかもしれない。

ただ、話を聞いてほしかった。 一緒に笑ってほしかった。 それだけだったのかもしれない。

息子も、同じだったんです。

僕に「分析」されたかったわけじゃない。 「支援」されたかったわけじゃない。

ただ、父親として隣にいてほしかっただけ。気持ちを分かち合いたかっただけ。

専門家としての鎧が、父親としての僕を覆い隠していました。

無力だったからこそ、見えたもの

それから、僕は少しずつ変わっていきました。

「プロとして何かしなきゃ」という思いを、手放していきました。

息子の隣に座る時、 ただの「父親」として座るようにしました。

「どうしたら学校に行けるか」を考えるのを、意図的にやめました。

完全に頭から拭い去ることなんて、不可能です。

それでも、「考えないようにする」と決めました。

支援やアプローチに関しては、専門機関や学校に任せました。

僕の役割は、そこじゃない。

「今日は何して遊ぶ?」
「このゲーム、面白いね」
「お昼、何食べたい?」

そんな、ただの会話。

何も解決しない、何も前に進まない時間。

でも、その時間が大切だったんです。

何もできないことを、受け入れました。

5年かかりました。

小学1年生から5年生まで。

妻は毎日一緒に登校しました。

妻も一緒に 教室で過ごす時期もありました。

様々な別室登校を試しました。

支援学級にも入りました。

その中でも、毎日大波小波がありました。

「支援学級に入ったら行けるかも!」

そう言って目を輝かせた日。

「今日は体育だけ行けた!」

嬉しそうに報告してくれた日。

「今日は学校楽しかった!」

そんな言葉が聞けた日。

一つ一つが、僕たちにとっての宝物でした。

今、息子は中学2年生です。

中学生からは、学校を休むことはほぼありません。

部活に、生徒会に。

オーバーワークではないかと思うくらい、精力的に動いています。

「あの頃が嘘みたい」

正直、そう思います。

でも同時に、あの5年間があったからこそ、今の息子がいるとも思っています。

息子は息子のペースで歩いている。

僕たち夫婦も、「親として」成長しました。

専門家である前に、親であること。

それを学んだ5年間でした。

この記録を残す理由

人生に正解なんてない

今、この文章を読んでくださっているあなたは、 もしかしたら、同じように苦しんでいるかもしれません。

「子どもが学校に行けない」
「どうしたらいいかわからない」
「自分の対応が間違っているんじゃないか」

そんな不安を、抱えているかもしれません。

僕も同じでした。

精神科で18年働いて、 何百人もの患者さん、利用者さんと関わってきた。

それでも、息子の前では無力でした。

知識も、経験も、何の役にも立たなかった。

いや、むしろ邪魔をしていたかもしれません。

だから、伝えたいんです。

専門家でも悩む。 医療者でも無力感を感じる。

それでいいんだと。

「正解」なんて、ないんだと。

このブログでは、これから僕たち家族の5年間を書いていきます。

成功談ではありません。 「こうすればうまくいく」というノウハウでもありません。

失敗も、恥も、葛藤も。

全部そのまま、書いていきます。

息子の変化。 妻との葛藤。 仕事との両立。 デイケアで学んだことが、どう繋がったか。

「正解」ではなく、「経過」を共有したいんです。

もしかしたら、あなたの状況とは違うかもしれません。

でも、「同じように悩んでいる人がいる」

それだけでも、少し楽になれるかもしれない。

そう思って、この記録を残すことにしました。

一緒に、歩いていきましょう。

まとめ

精神科OTとして18年。

でも、息子の不登校の前では無力でした。

知識も、経験も、何の役にも立たなかった。

いや、むしろ邪魔をしていたかもしれません。

でも、無力だったからこそ、 「父親として」息子と向き合えるようになりました。

次回は、妻との葛藤について書きます。

医療者夫婦だからこその、すれ違いの話です。

※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。

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妻は看護師、僕はOT。それでも息子の不登校に答えは出なかった

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息子の不登校で無力だった

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この記事を書いた人

精神科OTパパのアバター 精神科OTパパ 精神科デイケアセンター(センター長)

精神科作業療法士18年×不登校経験者の父。息子の5年間の不登校を、看護師の妻と乗り越えました。中学生になった息子は、現在生徒会に入り活躍中。専門家でも無力だった体験を赤裸々に。同じ悩みを持つ親御さんへ。

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