
「学校に行きなさい」
「みんな行ってるよ」
「甘えたらだめだよ」
息子が不登校になった小1の秋から、僕はこれらの言葉を毎日のように言い続けました。
朝、玄関先で。 夜、寝る前に。 週末も、休みの日も。
息子の顔を見るたびに、同じ言葉を繰り返していました。
精神科作業療法士として、「子どもを追い詰めてはいけない」と頭ではわかっていたのに。
なぜ僕は、これらの言葉を言い続けてしまったのか。 そして、これらの言葉は息子に何をもたらしたのか。
今振り返ると、見えてくるものがあります。
この記事は、僕が息子に言い続けた言葉と、その影響についての記録です。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 僕が息子に毎日言い続けていた言葉たち
- なぜ僕はそれらの言葉を言い続けてしまったのか
- これらの言葉が息子に与えた影響(僕の観察)
- 言葉を変えようと決めた転換点
- 今振り返って思うこと
僕が毎日息子に言い続けていた言葉たち



小1の秋から小2頃まで、僕は息子に同じような言葉を毎日のように言い続けていました。
朝、玄関先で。学校から帰ってきた夕方に。夜、寝る前に。
ここでは、僕が特によく口にしていた言葉を振り返ります。
「学校に行きなさい」
これは毎朝、必ず言っていました。
最初は優しく「学校に行こうね」と言っていましたが、日が経つにつれて「学校に行きなさい」という命令口調に変わっていきました。
息子が玄関先で動けなくなると、何度も何度も繰り返しました。
「みんな行ってるよ」
「友達はみんな学校に行ってるのに」
「なんで君だけ行けないの?」
息子と周りの子を比較する言葉を、頻繁に使っていました。
息子の表情が曇るのを見ても、やめられませんでした。
「甘えたらだめだよ」
「ちょっと嫌なことがあったぐらいで休んでたら、これから先どうするの?」
息子の「行きたくない」という気持ちを、「甘え」だと決めつけていました。
息子が何に苦しんでいるのか、理解しようともしていませんでした。
「お父さんも仕事行きたくない日あるけど、我慢して行ってるよ」
大人の我慢と、子どもの不安を同じだと思っていました。
「みんな我慢してるんだよ」という言葉も、よく使っていました。
「いつまでこんなことしてるの?」
息子が玄関先で30分、1時間と動けずにいると、僕はこう言いました。
「こんなこと」という言葉で、息子の苦しみを軽く扱っていました。
「このまま大人になったら大変なことになるよ」
将来への不安から、息子の未来を脅すような言葉まで口にしていました。
まだ小学生なのに。
「昨日は行けたじゃん、今日も頑張ろう」
これは一見、励ましの言葉に聞こえます。
でも、息子にとっては「昨日できたのに、今日できないのはおかしい」というプレッシャーになっていました。
毎日の状態が違うことを、僕は理解していませんでした。
そして夜、寝る前にも・・・
「明日は行けるよね?」
「明日こそ頑張ろうね」
寝る前にこんな言葉をかけていました。
息子は夜20時頃から「明日学校嫌だ」と泣き出すことが多くなりました。
お風呂にも入れない日もありました。
僕の言葉が、息子の不安を増幅させていたのかもしれません。
これらの言葉を、僕は毎日毎日、繰り返し息子に言い続けていました。
精神科作業療法士として、職場では利用者さんに「その人のペースを大切に」と話していたのに。
自分の息子には、真逆のことをしていました。
なぜ僕はこれらの言葉を言い続けてしまったのか



今振り返ると、いくつかの理由が見えてきます。
息子の将来への不安
「このまま学校に行けなくなったら、この子の人生はどうなるんだ」
まだ小学1年生なのに、僕は息子の将来を勝手に悲観していました。
「引きこもりになってしまうんじゃないか」
「社会に出られなくなってしまうんじゃないか」
そんな不安が、息子を学校に行かせようとする言葉になっていました。
世間体への恐怖
「周りの子はみんな普通に学校に行ってるのに」
「うちの子だけが特別なんじゃないか」
職場で同僚の子どもたちの楽しそうな学校生活の話を聞くたびに、僕は焦りました。
息子の不登校を、誰にも話せませんでした。
「変な家族だと思われるんじゃないか」という恐怖が、僕を追い詰めていました。
「学校に行かせれば解決する」という思い込み
精神科作業療法士として、職場では利用者さんやご家族をサポートしている。
なのに、自分の息子は助けられない。
その無力感から目を逸らすために、「とにかく学校に行かせれば解決する」と思い込んでいました。
息子の心の状態ではなく、「学校に行く・行かない」という行動だけに目が向いていました。
自分自身の焦りとイライラ
朝、たまに僕が学校に送るときもありました。息子が玄関先で動けなくなると、僕は仕事に遅刻します。
「早く家を出ないと」という焦り。
「なんで行けないんだ」というイライラ。
それが、息子への言葉として出ていました。
息子のためではなく、自分の都合を優先していました。
「学校に行く」ことへの固定観念
「学校に行くことは当たり前」
「学校には行かなければならない」
そう思っていました。
息子が「学校に行けない」状態は、受け入れがたいことでした。
これらすべてが、「僕自身の不安」だった
今振り返ると、これらの理由は全て、僕自身の不安や恐怖から来ていました。
息子のためではなく、僕自身が楽になりたかった。
息子の気持ちに寄り添うのではなく、僕の不安を解消したかった。
だから、「学校に行きなさい」という言葉を言い続けたのです。
これらの言葉が息子に与えたかもしれない影響(僕の観察)





僕が息子に言い続けた言葉は、息子にどんな影響を与えたのか。
当時は気づいていませんでしたが、今振り返ると見えてくることがあります。
「ごめんね」が口癖になった
「ごめんね、ごめんね……」
息子は、この言葉を何度も言うようになりました。
学校に行けない朝。 妻が仕事を休んだ時。 僕たちが息子のために時間を使っている時。
「僕のせいでお母さんをパートにさせてごめんね」
息子は、すべてを自分の責任だと思い込んでいました。
夜の不安が強くなった
夜20時頃になると、息子は「明日学校嫌だ」と泣き出すようになりました。
「明日は行けるよね?」という僕の言葉が、息子の不安を増幅させていたのかもしれません。
寝る前に学校の話をすることで、息子は安心して眠れなくなっていきました。
お風呂にも入れない日もありました。
身体の不調を訴えだした
朝、玄関先で息子の手足が震えることがありました。
呼吸が荒くなり、「ハッ、ハッ、ハッ」という浅く速い呼吸。
腹痛や気分の悪さを訴えることも増えました。
親の顔色を伺うようになった
息子は、僕の表情を見るようになりました。
「お父さん、怒ってる?」
そう聞かれることが増えました。
僕の機嫌を気にして、自分の気持ちを言えなくなっていったのかもしれません。
「行かなきゃいけない」という思いと、「行けない」現実の狭間で苦しんだ
息子は「学校に行かなきゃいけない」とわかっていました。
僕が毎日言い続けていたから。
でも、体は動かない。心は拒否している。
「行かなきゃいけないのに、行けない自分」
その矛盾に、息子は苦しんでいました。
学校を休んだ日も、学校が始まる時間から終わる時間までは活気がなく、罪悪感を感じているように見えました。
自己肯定感が下がっていった
「みんなはできるのに、僕だけできない」
僕が息子と周りの子を比較する言葉を使い続けたことで、息子はそう思い込んでいきました。
「僕はダメな子なんだ」
そんな言葉を、息子が口にしたこともありました。
これらは、すべて僕の観察です
ここに書いたことは、当時の息子の様子から僕が感じたことです。
息子の本当の気持ちは、息子にしかわかりません。
でも、僕の言葉が息子に何らかの影響を与えていたことは、間違いないと思います。
精神科デイケアで、僕は「自責の念」に苦しむ利用者さんを何人も見てきました。
「どうせ私なんて……」
「私のせいで……」
そんな言葉を口癖のように言う方々。
息子の「ごめんね」も、同じでした。
小さな体で、全部を背負おうとしていました。
それに気づくべきだったのに、僕は気づこうとしていませんでした。
言葉を変えようと決めた転換点



僕が「言葉を変えよう」と決めた転換点。
それは、いくつかの出来事が重なった結果でした。
あの朝の「ごめんね」
小1の秋のある朝。
僕は息子に怒鳴り、壁に物を投げつけました。
その時、息子が震えながら言いました。
「ごめんね、ごめんね……」
何度も、何度も。
その瞬間、僕は気づきました。
「息子を追い詰めていたのは、僕だったんだ」と。


「このままでは、息子の心がもたないんじゃないか」
小1の冬頃、息子の様子がどんどん悪くなっていきました。
朝の震え、夜の泣き叫び、お風呂に入れない日々。
「このままでは、息子の心がもたないんじゃないか」
心底、そう思いました。
「学校に行くことなんかどうでもいい」
「この子の心を守らなきゃ」
そう思い始めた時期でした。
心療内科の先生からの言葉
発達障がい者支援センターを紹介され、その後、心療内科も受診しました。
先生は、僕たち親にこう言いました。
「お子さんは、今、すごく頑張っています。」
「まずはその頑張りを認めてあげてください。」
「親御さんが安定することが、一番大切です」
その時の息子の状態や、僕たち家族に向けた言葉でした。
その言葉が、僕の心に刺さりました。
僕は息子に「頑張れ」と言い続けていました。
でも、息子はもう十分頑張っていたんです。
妻の涙
妻は毎日、息子と一緒に学校に行き、教室で付き添っていました。
ある夜、妻が泣きながら言いました。
「あの子、毎日毎日、どれだけ辛いんだろう」
妻は、息子から片時も離れず一番近くで寄り添っていました。
息子の辛い表情、立ちすくむ姿を、毎日見てきました。
妻の涙を見て、僕は思いました。
「僕は、息子の辛さを本当の意味で理解しようとしていなかった」
デイケアでの利用者さんの言葉
デイケアに通う、ある利用者さんが言いました。
「親から『頑張れ』って言われると、『まだ頑張りが足りないのか』って思うんです」
その言葉を聞いた時、ハッとしました。
僕が息子に言い続けていた「頑張ろう」という言葉。
それは、息子にとってどう聞こえていたのか。
「学校に行かせる」から「息子を守る」へ
これらの出来事が重なり、僕の中で何かが変わりました。
目的が変わったんです。
「学校に行かせること」から、「息子の心を守ること」へ。
そう決めた時、僕の言葉も少しずつ変わっていきました。
すぐには変われませんでした。
それでも、変わろうと決めた瞬間から、何かが動き始めました。
今振り返って思うこと





あれから8年。
今振り返って、あの時の自分に何を伝えたいか。
息子は十分頑張っていた
「学校に行きなさい」と毎日言い続けていた僕。
でも、息子は毎日、学校に行こうとしていました。
玄関先で震えながらも、ランドセルを背負っていました。
車に乗って、学校に向かおうとしていました。
息子は、十分頑張っていたんです。
それなのに僕は、「もっと頑張れ」と言い続けていました。
比較する言葉は、何も生まなかった
「みんな行ってるよ」
「なんで君だけ行けないの?」
周りの子と比較する言葉を、何度も言いました。
でも、それは何も生みませんでした。
息子の自己肯定感を下げただけでした。
「僕だけができない」という思いを強めただけでした。
比較ではなく、息子自身を見るべきでした。
「甘え」ではなかった
「甘えたらだめだよ」と言い続けていました。
でも、息子の「行きたくない」は、甘えではありませんでした。
心からのSOSだったと思います。
それを「甘え」だと決めつけた僕は、息子のSOSを無視していたんです。
将来への不安は、僕自身の不安だった
「このまま大人になったら大変なことになるよ」
そう言っていましたが、それは息子の将来のことを心配しているようで、実は僕自身の不安でした。
息子の今の苦しみよりも、僕の不安を優先していました。
「行けるよね?」という言葉のプレッシャー
「明日は行けるよね?」
寝る前に、よくこう言っていました。
励ましのつもりでした。
でも、息子にとっては大きなプレッシャーだったと思います。
「行けなかったらダメなんだ」というメッセージになっていました。
専門職なのに、できなかった
精神科作業療法士として、デイケアで利用者さんをサポートしてきました。
「その人のペースを大切に」
「無理に聞き出さない」
「寄り添う」
そう話してきました。
でも、自分の息子には、真逆のことをしていました。
専門職だからこそ、できると思っていました。
でも、親になると、冷静ではいられませんでした。
知識があっても、実践できませんでした。
それが、今の僕の正直な気持ちです。
でも、変わることはできた
すぐには変われませんでした。
言葉を変えようと決めてから、本当の意味で変われるまで、2年ほどかかりました。
妻との対話、息子の変化、心療内科や発達障がい者支援センターのサポート。
様々なことが重なって、少しずつ変わっていきました。
息子は今、中学2年生です。
毎日学校に通い、生徒会で活躍し、バレー部にも入部しています。
私よりも大きな靴を履き、身長は来年には抜かれそうです。
強くなりました。人の痛みがわかる子になりました。
あの5年間があったから、今の息子があると思います。
そして、僕自身も成長できたと思います。
これは、すべての家庭や子どもに当てはまる話ではなく、あくまで息子の場合の結果です。
まとめ
- 僕は息子に「学校に行きなさい」「みんな行ってるよ」「甘えたらだめだよ」と毎日言い続けていました
- それらの言葉は、僕自身の不安や焦りから来ていました
- 息子は「ごめんね」が口癖になり、自分を責めるようになりました
- 心療内科の先生や妻の涙、様々な出来事が重なり、僕は変わろうと決めました
- すぐには変われませんでしたが、2年かけて少しずつ変わっていきました
この記事は、僕が息子に言い続けた言葉と、その影響についての記録です。
同じように子どもに「学校に行きなさい」と言い続けているあなたへ。
それは、あなただけじゃありません。 僕も同じでした。
でも、気づいた時から、変われます。
時間はかかるかもしれません。 それでも、変わろうと決めた瞬間から、何かが動き始めます。
一緒に、歩いていきましょう。
※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。デイケアでの記述は、筆者が個人的に観察した光景であり、専門的な見解ではありません。
【次回予告】
「学校行きなさい」と言い続けて、
僕はたくさん失敗しました。
では、その失敗のあと、
僕はどうしたのか。
急に良い親になれたわけでも、
正解が見つかったわけでもありません。
ただ、息子にかける言葉を、少しずつ変えていきました。
次回は、不登校の息子に、僕がかけるようになった声かけについて書きます。
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