息子の不登校が始まって数ヶ月。
妻と僕の意見は、真逆でした。

「無理させない方がいいんじゃないか」



「息子は頑張りたいって言ってる。その気持ちを支えたい」
毎晩のように話し合いました。
対立もしました。
でも、本当の問題は意見の違いじゃなかった。
僕が、妻の犠牲を理解していなかったことでした。
これは、息子の不登校で気づいた夫婦のすれ違いの話です。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 医療者夫婦が陥った「正反対の考え方」のぶつかり合い
- 「守りたい父親」vs「背中を押したい母親」の対立
- 妻が正社員を辞めてパートになり、毎日付き添った現実
- 僕が妻の犠牲を理解できていなかった時期
- 「あなたは仕事に行けるけど」という妻の言葉の重み
深夜0時、リビングでの話し合い
息子が寝た後。
リビングで、妻と二人でいつも繰り返される話が始まります。
「今日はどうだった?」
毎晩、同じ質問から始まります。
妻は、ため息混じりに話し始めます。
「今日もね、朝は泣いてた。でも、教室には入れたよ」
「授業中、ずっとうつむいてたけど」
「休み時間に、○○くんが声かけてくれて、少し笑ってた」
妻は学校で、息子の隣にいます。
毎日、ずっと。
その様子を、夜に聞くのが僕の日課でした。
「……やっぱり、辛そうだね」
僕はそう言いました。
「うん。でも、頑張ってたよ」
妻は、そう答えます。
「無理させない方がいいんじゃないか?」
僕の言葉。
「でも、本人は頑張りたいって言ってる」
妻の言葉。
同じ会話の繰り返し。
お互い譲らない。
どちらも「子どものため」と思っているから。
僕は「守りたい」、妻は「背中を押したい」


僕と妻は、どちらも医療者です。
でも、考え方は真逆でした。
【僕の考え】



「無理をさせた方が、かえって本人を追い詰めてしまうんじゃないか」
僕は、そう思っていました。
精神科で18年働いてきて、たくさんのケースを見てきました。
ストレスに耐えきれなくなって、うつ病になった人。
無理をしすぎて、不安障害を抱えた人。
自分を傷つけるようになった人。
「二次障害」という言葉が、頭から離れませんでした。
息子を守りたい。
無理をさせて、取り返しのつかないことになったら。
そう思うと、怖くて仕方ありませんでした。
「休んでもいいんだよ」
「無理しなくていいんだよ」
そう言いたかった。
長期的に見れば、今は休むべきじゃないか。
そう考えていました。
【妻の考え】
でも、妻は違いました。



「私は学校にいる間、ずっと息子を見てる」
妻はそう言いました。
「話をしていて、息子は学校から逃げ出そうとは全くしていない」
「何とか頑張りたい、みんなと一緒のようにしたい、といつもチャレンジしている」
「その気持ちをマイナスに引っ張るようなこと――休んでもいいよなんて――言わないでほしい」
妻の言葉は、強かった。
息子の「頑張りたい」という気持ちを信じたい。
母親として、その気持ちを支えたい。
背中を押してあげたい。
それが、妻の思いでした。
【平行線】
僕は「守りたい」
妻は「背中を押したい」
どちらも、息子のためを思っている。
でも、方向性が違う。
毎晩の話し合いは、いつも平行線でした。
医療者同士だからこそ、ぶつかった
お互いに「根拠」を持ち出すようになりました。
「こういう論文があって、無理は禁物だって」
僕はそう言いました。
「でも、息子は違う」
妻は即座に返します。



「現場を見てない人にはわからない」
その言葉が、胸に刺さりました。
「現場」を見ているのは、妻でした。
僕は毎日、仕事に行って、夜に話を聞くだけ。
妻は毎日、息子の隣にいる。
息子が苦しんでいる顔を見ている。
息子が頑張っている姿を見ている。
息子が笑った瞬間を見ている。
僕は、何も見ていなかった。
ある夜、こんな会話がありました。
「二次障害とか考えたら……」
僕がそう言うと、妻が遮りました。
「ねぇ、今日の息子の顔見た?」
「……見てないけど」
「だったら、わからないよ」
言葉に詰まりました。
妻は「理論」を語る僕に、「現実」を突きつけてきました。
医療者同士だからこそ、お互いに譲れない。
お互いに「正しさ」があるから。
でも、「正しさ」をぶつけ合うほど、溝は深くなっていきました。
妻の犠牲を、僕は理解していなかった


妻は、息子の付き添いのために正社員を辞めることを決めました。
パートに変わる決断。
でも、妻は凄く葛藤していました。
「看護の仕事が好きなのに」
「職場にも迷惑が掛かる」
妻はそう言って、何度も悩んでいました。
それでも、息子のために決めました。
パートに変わってからも、仕事に行けない日が多かった。
妻の収入は激減しました。
キャリアも、諦めました。
でも、僕はそのことを深く考えられていませんでした。
【妻の日常】
朝、息子を起こす。
「今日も一緒に行こうね」
そう声をかける。
息子が泣いても、動けなくても、 妻は優しく背中をさする。
一緒に学校へ行く。
教室で、息子の隣に座る。
クラスメイトからは「○○先生」と呼ばれる。
授業中、息子がずっと俯いていても、 妻はそっと寄り添う。
休み時間、息子が一人でいたら、 「大丈夫?」と声をかける。
給食の時間。
教室の中で、おにぎりを食べる。
息子が苦しんでいる姿を見る。
でも、妻は笑顔で「頑張ろうね」と背中を押す。
毎日、毎日、その繰り返し。
【僕の日常】
朝、僕は先に家を出る。
息子と妻よりも早く、仕事に向かう。
デイケアで、利用者さんと関わる。
「今日は調子どうですか?」
「無理しないでくださいね」
仕事は、いつも通り。
夜、帰宅して、妻から話を聞く。
「今日はどうだった?」
でも、その重みを、僕はわかっていなかった。
妻がどれだけ大変な思いをしているか。
妻がどれだけ犠牲を払っているか。
頭ではわかっていたつもりでした。
でも、本当の意味では理解していなかった。
【あの夜の言葉】
ある夜、妻が爆発しました。
いっぱいいっぱいだったんだと思います。
「あんたは仕事に行けるけど、私は息子とずっと一緒にいる!」
妻の声は、感情的でした。



「給食の時間も教室の中でおにぎりを食べてる!」
「想像できる?」
「変わってみてよ!」
その言葉が、胸に突き刺さりました。
僕は、何も言えませんでした。
妻は「理論」を聞きたかったわけじゃなかった。
ただ、わかってほしかったんだ。
僕は「理論」を語っていた。
でも妻は「現実」を生きていた。
妻の犠牲。
妻の負担。
妻の覚悟。
僕は、それを深く考えられていなかった。
想像さえ、できていなかった。
申し訳なくて、言葉が出ませんでした。
僕が変わろうと思った瞬間
妻の言葉が、胸に刺さったまま離れませんでした。
「想像できる?」
「変わってみてよ!」
僕は何も背負っていなかったんだ。
そう気づきました。
意見の違いは、立場の違いでした。
僕は「外」から見ていた。
妻は「中」にいた。
息子の苦しみを、一番近くで見ていたのは妻でした。
息子の頑張りを、一番近くで支えていたのも妻でした。
僕は夜に話を聞くだけ。
それで「わかった気」になっていた。
【僕の変化】
「無理させない方がいい」
その考えは、変わりませんでした。
でも、「妻の判断を信じよう」と思いました。
妻は息子を一番近くで見ている。
息子の表情を見ている。
息子の声を聞いている。
息子の変化を感じている。
その妻が、「息子は頑張りたいと言っている」と言うなら。
その判断を、尊重しよう。
僕の役割は、息子を「支援」することじゃない。
妻を支えることなんだ。
そう思いました。
【夫婦での話し合いが変わった】
それから、話し合いの内容が変わりました。
「どうすればいいか」と関わり方を話すのではなく、
「どう過ごしていたか」を中心に話すようになりました。
そして、息子の話ばかりではなく、
妻の心労についても話ができるようになりました。
「大変だったね」
「ありがとう」
そんな言葉が、自然と伝えられるようになりました。
意見が違っても、対立しなくなりました。
「僕はこう思うけど、でもあなたの判断を信じるよ」
そう言えるようになりました。
妻も、変わっていきました。
妻自身の辛さや大変さも、話してくれるようになりました。
「今日ね、教室でずっと座ってて、腰が痛くて」
「息子が泣いた時、私も一緒に泣きそうだった」
そんな言葉を、妻が口にするようになりました。
僕たち夫婦も、少しずつ歩み寄っていったんだと思います。
今、振り返って思うこと
あの時期、妻は本当に大変だったと思います。
僕は理論を語るだけでした。
妻は毎日、息子と向き合っていました。
教室で、息子の隣に座り続けた日々。
クラスメイトから「○○先生」と呼ばれながら、
おにぎりを食べていた給食の時間。
息子が苦しんでいる姿を見ながら、
それでも「頑張ろうね」と笑顔で背中を押し続けた日々。
僕には、できなかったことです。
息子が今、中学2年生で元気に学校に行けているのは、
妻のおかげです。
妻が背中を押し続けてくれたから。
妻が息子の「頑張りたい」という気持ちを信じてくれたから。
僕は、それを支えることしかできませんでした。
でも、それでよかったんだと思います。



※これは結果論であり、当時の選択が「正しかった」「同じ対応が望ましい」という意味ではありません。
【メッセージ】
夫婦で意見が合わないのは、当たり前です。
お互いに「子どものため」と思っているから。
でも、大切なのは意見を一致させることじゃない。
相手の立場を理解しようとすることです。
特に、「現場」にいる人の負担を理解してほしい。
毎日、子どもと向き合っている人の大変さを。
その人の犠牲や覚悟を。
意見の違いより、支え合うことが大事なんだと思います。
まとめ


医療者夫婦でも、意見は真逆でした。
僕は「守りたい」
妻は「背中を押したい」
でも、本当の問題は意見の違いじゃなかった。
妻の犠牲と覚悟を、僕が理解していなかったことでした。
妻は正社員を辞め、毎日息子に寄り添い続けた。
その重みを、僕は想像さえできていなかった。
「あんたは仕事に行けるけど、私は息子とずっと一緒にいる」
その言葉で、ようやく気づきました。
意見を一致させることより、 お互いを理解し、支え合うことが大切なんだと。
次回は、息子が泣きながら謝った朝のことを書きます。
僕が「最低の父親」だと思った日の話です。
※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。夫婦関係の専門家でもありません。お子さんの状況や夫婦の関係性に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、家族療法の専門家など)にご相談ください。
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