ある朝、息子が泣きながら言いました。
「ごめんね、ごめんね……」
何度も、何度も。
僕は、その瞬間に気づきました。
息子を追い詰めていたのは、僕だったんだと。
「学校に行けない自分が悪い」
息子は、そう思い込んでいました。
それは、僕が作り出したものでした。
これは、僕が「最低の父親」だと気づいた朝の話です。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 初めて僕が一人で息子を送り出す朝に起きたこと
- 「仕事に遅刻する」という焦りが生んだ最悪の怒り
- 息子の「ごめんね、ごめんね」という言葉の重み
- デイケアでは冷静なのに、息子には感情を爆発させた自分
- 子どもの「自責」がどれほど危険か
- あの日から変わろうと決めた父親の反省
その朝、初めて僕が息子を送り出すことになった
息子の不登校が始まって、まだ1週間も経っていませんでした。
その日の朝。
妻は仕事の都合で、いつもよりも早く家を出ました。
初めて、僕が息子を学校に送ることになりました。
(今日はどうなるのかな…)
胸がソワソワしました。
時計を見る。
出勤時間が迫っています。
精神科OTパパ(ちゃんと学校に行けるだろうか)
(行けなかったら、仕事に遅刻してしまう)
そんなことばかり考えていました。
玄関で、息子は動けなくなった


息子は、促されながらも自分で学校に行く準備をしていました。
ランドセルを背負っています。
「よし、行くぞー」
僕もカバンを背負って、玄関のドアを開けました。
でも。
息子は立ち止まりました。
俯いたまま、靴を履こうとしません。
(うわっ、やっぱりか)
心臓がドキッとしました。
でも、僕はすぐに言いました。
「早く行くよ、遅刻する!」
少し大きな声でした。
すると、息子の呼吸が荒くなりました。
「行きたくない……」
泣き出しました。
(どうしよ…)
焦りました。
息子に近寄って、こう言いました。
「今日も行けそうにない?昨日も途中からお母さんと行けたじゃん。頑張ろう!行くよ」
息子の手を引きました。
でも、息子は全身の力でそれを拒みました。



「いやだー!いやだー!」
息子の声は叫びに近かった。
体を激しく揺すって、手を振り払おうとする。
呼吸はどんどん荒くなっていく。
「ハッ、ハッ、ハッ」という浅く速い呼吸。
唇が紫色になっていく。
手が震えている。
まるで、パニックを起こしているようでした。
僕の頭の中は、「スムーズに学校に行ってくれないと仕事に遅刻してしまう」という事しか浮かんでいませんでした。
ひたすら息子を励ましました。
勇気づけました。
玄関先で、説得を続けました。
15分も。
息子は怯え続けていました。
それでも僕は、説得を続けました。
理由は、自分が仕事に行けるように。
僕は、息子を責めた
結局、玄関での説得は諦めました。
一旦リビングに戻り、二人で座りました。
でも、僕の質問攻めは続いていました。
「何で行けないの?」
「嫌な事があったの?」
息子は首を横に振るばかり。
答えが返ってこない。
時計を見ました。
チラチラと、何度も。
出勤時間が、刻一刻と迫っています。
状況は、全く前に進まない。
息子は、泣き続けています。
僕の中で、イライラがどんどん膨らんでいきました。
そして。
ピークに達しました。
僕は、背負っていたカバンを、壁に思い切り投げつけました。
「バンッ!」
大きな音が響きました。
そして、僕は息子に向かって怒鳴りました。



「なんでそんなに学校に行けないんだ!」
「お前が学校に行かなかったら、俺も仕事に行けない!」
「飯も食えなくなるぞ!」
「この先どうするんだ!」
思いっきり、怒鳴りつけました。
リビングが、シーンとなりました。
息子は、声を出さなくなりました。
ただ、体を小さく震わせていました。
その後。
小さく、とても小さく。
息子が言いました。



「ごめんね……ごめんね……」
何度も、何度も。
僕に謝っていました。
「ごめんね」の意味


その時、僕は息子の「ごめんね」の意味を理解していませんでした。
でも、今ならわかります。
息子は、こう思っていたはずです。
「行かなきゃいけないのに、行けなくてごめんね」
「お父さんを怒らせてしまってごめんね」
「お父さんが仕事に行けなくなってしまってごめんね」
「家族みんなを、僕のせいで困らせてしまってごめんね」
「全部、ぼくのせいで……本当にごめんね」
息子は、自分を責めていたんです。
全責任を、あんなに体の小さな子供に負わせてしまった。
息子は、どんなに辛かったことか。
今、この記事を書いていて。
もう7年前の出来事になりますが、まだ鮮明に覚えています。
息子の震える体。
小さな声で繰り返した「ごめんね」。
あの時の僕が、今目の前に現れたら。
胸ぐらを掴んで、ぶん殴っているだろうと思います。
何発も、何発も。
僕は、本当に最低の父親でした。
僕は最低の父親だった
仕事に間に合わない時間になってしまいました。
僕は、説得を諦めました。
職場に電話をしました。
でも、本当の理由は言えませんでした。



「子供の体調が悪くて、休ませてもらいます」
そう伝えました。
仕事に対して、一区切りついた僕は、少し冷静さを取り戻しました。
自分の感情を息子にぶつけてしまった罪悪感が出てきました。
まだ泣いている息子に対して、僕は言いました。
「さっきはごめんね」
「もうお仕事休めたから、今日はゲームでもして気晴らししよっか」
「今日一日でリフレッシュして、また明日から頑張ろう」
「明日は行けるよね?」
冷静さを取り戻した後の僕も、今考えると最悪な父親です。
「明日は行けるよね?」
また、息子にプレッシャーをかけていました。
でも、その時の僕には、それが精一杯の声かけでした。
デイケアでの僕とのギャップ
デイケアでの僕は、いつも冷静です。
客観的に物事を見ています。
利用者ファーストで、自分の感情を爆発させたことなんて、一度もありません。
利用者を責めたことなんて、一度もありません。
でも、あの朝の僕は違いました。
まず、自分の状況を考えました。
自分の感情が、先に立ちました。
息子の状況や気持ちが、全く考えられていませんでした。
プロとしての僕は、どこにもいませんでした。
ただの、最低の父親がそこにいました。
息子は、その後もずっと自分を責めていた


あの日から、息子の「ごめんね」という言葉を、何度も聞くようになりました。
「僕のせいでお母さんをパートにさせてごめんね」
息子は、そう言いました。
学校に付き添う妻に対して、「いつもごめんね」と言っていました。
僕たちが息子のために時間を作っている時。



「ごめんね」
その言葉が、よく聞かれました。
息子は、ずっと自分を責めていたんです。
OTとして見てきた「自責」の言葉
精神科のデイケアで、僕はよく聞く言葉があります。
「どうせ私なんて……」
「私のせいで……」
「私が居るから……」
口癖のように、このフレーズが出てくる方がいます。
僕は、そういう言葉を聞くたびに思います。
(この人は、自分をどれだけ責めているんだろう)
(どれだけ苦しいんだろう)
息子の「ごめんね」も、同じでした。
小さな体で、全部を背負おうとしていました。
デイケアで見てきた、あの苦しそうな表情。
息子も、同じ表情をしていました。
僕は、それに気づくべきでした。
プロとして、父親として。
でも、気づこうとしていなかった。
いや、見ようとしていなかったのかもしれません。
「ごめんね」という言葉の裏に、どれだけの苦しみがあるか。
それを、理解しようとしていませんでした。
あの日から、僕は変わろうと決めた
息子の「ごめんね……ごめんね……」という言葉。
その時の表情。
それが、脳裏に焼き付いて離れませんでした。
もう同じ失敗は、二度としてはならない。
そう思いました。
一番辛いのは、息子なんだと。
ようやく、理解できました。
自分の状況や感情なんて、どうにでもなるレベルだと思えるようになりました。
まず、息子に寄り添おう。
そう決めました。
でも、すぐには変われなかった
反省は、すぐにできました。
「変わらなきゃ」とも思いました。
でも。
本当の意味で変われたのは、この出来事から2年ほど経ってからでした。
様々なことがありました。
妻との葛藤。
息子の変化。
自分自身の気づき。
少しずつ、少しずつ。
父親として変わっていきました。
あの朝の「ごめんね」が、僕を変える最初のきっかけでした。
でも、それだけでは足りませんでした。
もっと多くの失敗を重ね、
もっと多くの後悔を経験し、
ようやく、本当の意味で変われたんです。
今、読んでくれているあなたへ
もし、あなたも子どもを責めてしまったことがあるなら。
それは、あなただけじゃありません。
僕も同じでした。
感情を爆発させてしまいました。
子どもを追い詰めてしまいました。
最低の父親でした。
でも。
気づいた時から、変われます。
時間はかかるかもしれません。
すぐには変われないかもしれません。
それでも、変わろうと決めた瞬間から、何かが動き始めます。
子どもは、自分を責めています。
「ごめんね」という言葉の裏には、どれだけの苦しみがあるか。
僕たち親が、想像する以上の重さを背負っています。
親が変われば、子どもも変わる「きっかけ」が生まれることがある。
少なくとも、我が家ではそうでした。
息子は今、中学2年生です。
毎日、中学に通っています。
バレー部に入り、生徒会にも入り、とても精力的に動いています。
足のサイズは、すでに僕より大きくなりました。
身長も、来年には抜かれそうです。
強く、たくましく育っています。
あの時、玄関で震えていた小さな息子。
「ごめんね、ごめんね」と泣いていた息子。
その面影はもう、ありません。
まとめ
今振り返ると、あの時の僕は「余裕を完全に失っていた父親」だったと思います。
自分の仕事を優先し、息子を責め、怒鳴りつけました。
息子の「ごめんね、ごめんね」という言葉。
7年経った今でも、忘れられません。
あの時、息子が背負っていた重さ。
「全部、ぼくのせいで……本当にごめんね」
小さな体で、全部を背負おうとしていました。
でも、あの日があったから、僕は変わろうと決意できました。
時間はかかりました。
2年ほど経って、ようやく本当の意味で変われました。
今、息子は強く、たくましく育っています。
次回は、不登校1年目、僕たち夫婦が後悔している5つのことについて書きます。
同じ後悔をしてほしくないから。
※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。
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