
精神科デイケアのセンター長として、不登校経験のある利用者さんを何人もサポートしてきた僕が、まさか自分の息子の不登校に、こんなに無力だとは思いませんでした
職場では利用者さんやご家族をサポートする立場なのに、家では息子の玄関先での号泣に途方に暮れ、妻と毎晩、答えの出ない辛い話し合いを繰り返す日々。
あの朝、仕事に間に合わない焦りから息子に怒鳴り、壁に物を投げつけた時、息子が「ごめんね、ごめんね」と震えながら謝った姿を、僕は一生忘れません。
このブログは、そんな僕たち家族の5年間の記録です。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 精神科作業療法士18年目の僕が、なぜこのブログを書くのか
- 専門職でも、自分の子どもの不登校には無力だったこと
- 息子の5年間の不登校の経過(簡単に)
- このブログで書くこと・書かないこと
- 同じように苦しんでいる親御さんへのメッセージ
はじめまして。精神科OTパパです
改めまして、こんにちは。 精神科作業療法士18年目の精神科OTパパです。
新卒で精神科病院に入職し、18年間ずっと同じ病院で勤務しています。
5年前からは精神科デイケアのセンター長に就任し、様々な困難を抱えた利用者さんと、一緒に悩み、「自分がなりたい自分」になれるようサポートしてきました。
中には、不登校経験のある利用者さんもいます。
当時の親御さんの苦労や、ご本人の気持ちを聞きながら、「僕にできることは何だろう」と考えてきました。
妻は看護師20年目。
ずっと正社員として働いていましたが、息子の学校付き添いのために一時パートに変更し、息子が小6の時に正社員に戻りました。
息子は現在中学2年生。
小1から小5まで、5年間にわたり不登校状態でした。
正確には「五月雨登校」「別室登校」「支援学級利用」と状況は変化し続けました。
今は毎日学校に通い、生徒会にも所属し、バレー部にも入部するなど、充実した中学生活を送っています。
でも、あの5年間は、想像を絶するほど辛いものでした。
このブログを書く4つの理由
① 同じ苦しみの中にいる親御さんに届けたい
息子が学校に行けなくなった小1の秋、僕はスマホで何度も検索しました。
「不登校 解決方法」 「不登校 親の対応」 「不登校 親の苦悩」
出てくるのは、専門家の理論的な記事、「こうすればうまくいく」系のハウツー、すでに解決した美談ばかり。
どれも間違ってないし、参考にもしました。
でも、僕が本当に知りたかったのは、「不登校で苦しんでいる親のリアルな声」でした。
朝、玄関先で子どもが震えて動けない時、どうしたらいいのか。
妻と意見が対立して喧嘩した時、どう乗り越えたのか。
「このままでは、この子は壊れてしまう」と思った時、何を考えたのか。
夫婦で辛い話し合いをした夜、何を話していたのか。
そういう「生々しい日常」が知りたかったんです。
だから僕は、失敗も、迷いも、夫婦喧嘩も、息子への暴言も、10円ハゲができたことも、全部書こうと思いました。
綺麗事じゃない、今まさに苦しんでいる誰かの「支え」になれるなら。
② 専門職としての自分を問い直すため
職場で利用者さんやご家族をサポートしながら、「僕は本当の意味で理解しているのかな」と思うようになりました。
理論は知っていました。
「子どもの気持ちに寄り添う」 「原因や理由を無理に聞き出さない」 「親が安定することが大事」
全部、正しい。
でも、本当の「親の気持ち」「親が置かれている状況」は、なってみないとわからなかった。
息子が玄関先で震えて動けない朝、僕は仕事に間に合わないイライラから息子に怒鳴りました。
「お前が学校に行かなかったら、俺も仕事に行けないだろう!これからどうするんだ!」
そして、壁に物を投げつけました。
息子は「ごめんね、ごめんね」と泣きながら謝りました。
あの時の息子の顔を、僕は一生忘れません。
専門職として、やってはいけないことを、僕はやってしまった。
このブログは、専門職としての僕が、親としての経験から学び直す場所でもあります。
③ 妻への感謝を形にしたい
息子が小1・小2の頃、妻は毎日、息子と一緒に学校に行き、教室で一緒に授業を受けていました。
2年間です。
息子のクラスメイトから「先生」と呼ばれるまでになりました。
妻は正社員からパートに変更し、有休も使い果たし、キャリアも諦めました。
そして何より、息子から片時も離れず一番近くで寄り添い、息子の辛い表情、立ちすくむ姿を毎日毎日見てきました。
その想像を絶する辛さは、僕には到底理解しきれないものだったと思います。
僕は仕事があるという理由で、朝の送り出しと夜のフォローしかできませんでした。
妻の献身がなければ、今の息子はいません。
このブログは、妻への感謝を形にする場所でもあります。
④ 周りに同じ悩みを持つ人がいると伝えたい
不登校の渦中にいる時、僕は「世界で自分たちだけが苦しんでいる」「自分たちだけが特殊なんだ」という気持ちでした。
周りの子は普通に学校に行ってる。
職場では、職員の子供の楽しそうな学校生活の話が飛び交っている。
僕は職場では笑顔を作り、家では胃薬を飲む毎日。
食欲なんか出ず、体重がどんどん減っていく。
10円ハゲもできた。
心が穏やかな時なんてほとんどなかった。
「なんで僕の家だけ」 「なんで息子だけ」
そう思っていました。
でも、そんなことはなかった。
同じように悩む親は、実はたくさんいるんです。
各ご家庭で状況は様々ですが、同じように苦しんで、不安で、それでも毎日子供に寄り添っている。
このブログを通じて、「あなたは一人じゃない」と伝えたい。
息子の5年間を、少しだけ


息子の不登校は、小1の秋から始まりました。
きっかけは、年長での環境の変化だったのかもしれません。
大好きだった曾祖父の死、自宅の引っ越し、弟の誕生。
それらが同時期に重なりました。
保育園の頃から行き渋りはあったのですが、小学校に入ってから本格化しました。
【小1秋〜小2】
毎朝玄関先で泣いて動けない。
車で送っても駐車場から2時間かけて教室へ。
妻が毎日教室に付き添い、一緒に授業を受ける。
夜20時から「明日学校嫌だ」と泣きわめき、お風呂にも入れない。
私たち夫婦も毎晩、答えの出ない辛い話し合いを繰り返していました。
【小3〜小4前半】
別室登校が始まりました。
会議室で校長先生や教頭先生と過ごす日々。
息子は「自分だけ違う場所にいる」という負い目を感じていました。
フリースクールも見学しましたが、「今の小学校の友達と過ごしたい」という息子の想いもあり、通うことはありませんでした。
【小4後半〜小5】
本人の強い希望で支援学級へ。
徐々に普通級にも参加できるようになり、学習塾とサッカーの習い事も再開しました。
朝泣くことも少なくなり、「今日は理科と体育は参加できたよ」と嬉しそうに話すことが増えてきました。
【小6〜中学】
ほぼ普通級で過ごせるようになり、中学では支援学級を利用せず。
現在は生徒会、バレー部で活躍中です。
詳しい経過は、別の記事で書きます。
ここで伝えたいのは、「5年かかった」ということです。
急激な変化なんてありませんでした。
少しずつ、本当に少しずつ、息子のペースで進んできました。
このブログで書くこと・書かないこと
✅ このブログで書くこと
【失敗も含めた、僕たち家族の記録】
息子に怒鳴ったこと、壁に物を投げつけたこと、妻と意見が対立して喧嘩したこと、周りの目を気にして息子を傷つけたこと、夫婦で毎晩辛い話し合いをしたこと。
僕たちは完璧な親ではありませんでした。
たくさんの失敗をしました。でも、その失敗も含めて、すべて書きます。
【精神科OTとして学んだことを、親目線で】
職場で学んだ理論と、実際の家庭での違い。
「こう考えたら少し楽になった」という視点の転換。
利用者さんから教わったこと。
専門職としての知識ではなく、一人の親として感じたことを書きます。
【今だから言える、当時の気持ち】
「このままでは、この子の心が保てなくなる」と思った瞬間。
「学校なんてどうでもいい」と思えた転換点。
息子の小さな成長に涙した日々。
当時は言葉にできなかった気持ちを、今だから書けることがあります。
❌ このブログで書かないこと
【医学的な診断や治療法の指示】
僕は医師ではありません。
一人の親としての体験談として書きますが、医療的助言はしません。
お子さんの状態や対応については、必ず専門機関にご相談ください。
【「これが正解」という断定】
すべての家庭に当てはまる方法なんてありません。
僕たちの方法が正解だったのかも、わかりません。
【他の家庭や対応を否定すること】
みんな必死です。
どの選択も、その家族にとっての最善だったはず。
否定ではなく、選択肢の一つとして読んでいただければと思います。
- このブログは、精神科作業療法士としての専門的助言ではなく、一人の親としての「体験の記録」です。
- お子さんの状態や対応については、必ず専門機関(医療機関、教育相談、スクールカウンセラーなど)にご相談ください。
- すべての家庭に当てはまるわけではないこと、ご了承ください。
最後に:あなたは一人じゃない
このブログを読んでくださっているあなたは、今、苦しんでいるかもしれません。
「もう無理」
「この子はこのままなんじゃないか」
「自分が悪いんじゃないか」
「周りの目が気になる」
「仕事との両立ができない」
そう思っているかもしれません。
僕も、妻も、そう思っていました。
朝、玄関先で動けない息子を見ながら、「なんで行けないんだ」と思いました。
職場で笑顔を作りながら、「自分の家だけが特別なんじゃないか」と思いました。
夜、夫婦で話し合いながら、「この先、どうなるんだろう」と不安で押しつぶされそうでした。
毎日が辛くて、先が見えなくて、心が休まる時なんてありませんでした。
でも、今、僕はこうしてブログを書いています。
息子は今、毎日学校に通い、生徒会で活躍し、バレー部にも入部しました。
あの5年間があったから、今の息子があると、本気で思います。
息子は今も吃音がありますし、時々不安が強くなることもあります。
でも、私よりも大きな靴を履き、身長は来年には抜かれそうです。
強くなりました。
人の痛みがわかる子になりました。
どんどんたくましくなっています。
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あなたは、一人じゃない。
同じように苦しんで、不安で、それでも毎日子供に寄り添っている親は、たくさんいます。
すぐには穏やかにならないかもしれない。 5年かかるかもしれないし、もっと短いかもしれない。
「その先」がどうなるかは分からなくても、「その先」に向かって時間は流れていきます。
あなたとお子さんのペースで、少しずつ前に進んでいくでしょう。
このブログが、あなたの「ちょっとした支え」になれば、こんなに嬉しいことはありません。
一緒に、歩いていきましょう。
まとめ


このブログは、専門家の助言でも、成功した美談でもありません。
不登校の親が、必死に悩み、失敗し、それでも家族で前に進んできた「5年間の記録」です。
同じように苦しんでいる誰かの「ちょっとした支え」になれば、こんなに嬉しいことはありません。
一緒に、歩いていきましょう。
【次回予告】
不登校が始まった頃。
僕は「どうすれば学校に行けるようになるのか」ばかり考えていました。
その結果、毎日のように息子にかけていたのが
「学校行きなさい」
という言葉でした。
でも今振り返ると、
その言葉こそが、息子を一番追い詰めていたのかもしれません。
次回は、僕が息子に言い続け、プレッシャーをかけてきた言葉たちについて書きます。
▼次の記事
不登校の息子に『学校行きなさい』と言い続けて、失敗した僕の体験
▼前回の記事
不登校5年間で息子が教えてくれた『人が変わるのには時間がかかる』ということ
▼Xで繋がりませんか?
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