毎朝、車の中で同じ言葉を言っていました。
精神科OTパパ「歩いて行ったら?」
「みんな歩いていくのにおかしいよ」
集団登校ができなくなった息子を、車で学校まで送る日々。
助手席に座る息子は、何も答えません。
ただ、窓の外を見つめているだけ。
その横顔を見ながら、僕は毎日、同じ言葉を繰り返していました。
僕は精神科デイケアのセンター長です。
職場では、メンバーさんの気持ちに寄り添い、焦らず一歩ずつ進むことの大切さを伝えています。
でも、我が子の前では違いました。



どうやったら学校に行けるんだろう
何とかして普通に戻さなきゃ
そればかり考えていました。
専門知識も、職場での経験も、全く役に立ちませんでした。
僕は、ただの「焦る父親」でしかなかったんです。
学校に着くと、息子は泣きました。
先生が車まで迎えに来て、半ば強引に教室へ連れて行く。
後で先生から「1時間目が終わる頃には泣き止んでいますよ」と言われると、僕はホッとしていました。
「やっぱり朝だけの問題なんだ」
「学校では大丈夫なんだ」
そう信じていました。
でも、それは大きな間違いでした。
あの時、僕が息子にかけ続けていた言葉が、息子をどれだけ追い詰めていたのか。
「学校では大丈夫」という報告に安堵していた自分が、息子の限界を見逃していたことに、当時は気づいていませんでした。
この記事では、車送迎の日々を振り返りながら、当時の僕の葛藤と、専門職の父親が陥った罠について書きます。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 車送迎中に毎朝「歩いて行ったら?」と言い続けた父親の焦り
- 「どうやったら学校に行けるんだろう」ばかり考えていた当時の思考
- 精神科デイケアのセンター長でも我が子には冷静になれなかった理由
- 「1時間目が終わる頃には泣き止む」という報告に安堵していた日々の危うさ
- 「歩いて行ったら?」という言葉が息子を追い詰めていた事実
「歩いて行ったら?」毎朝、車の中で言い続けていた言葉


車で学校まで送ることが、当たり前になっていました。
小学1年生の秋。
集団登校ができなくなった息子を、毎朝、僕か妻が車で学校まで送っていました。
でも、僕たちは諦めていませんでした。
いや、正確には「諦めたくなかった」んです。
毎朝、集団登校の時間に間に合うように、息子に準備をさせていました。



「ほら、もうすぐ集合時間だよ」



「急いで準備して」
集団登校に間に合う時間にランドセルを背負わせ、玄関に立たせる。
でも、息子は玄関から出られませんでした。
「歩いていく」とは言うんです。
本人も、そうしたいと思っている。でも、体が動かない。
時間だけが過ぎていきます。
結局、車で送ることになる。
車に乗せて、学校に向かう道中。
僕は、毎朝のように息子に声をかけていました。



「歩いて行ったら?」
「みんな歩いていくのにおかしいよ」
助手席に座る息子は、何も答えません。
ただ、窓の外を見つめているだけ。
その横顔を見ながら、僕は同じ言葉を繰り返していました。



「明日は歩いて行ってみたら?」
「みんなと一緒だから大丈夫だよ」
息子は、小さく頷くだけ。
でも翌朝も、同じことの繰り返しでした。
この言葉を、僕は毎日言い続けていました。
なぜ、言い続けたのか。
それは、「普通」に戻ってほしかったからです。
小学生なら、歩いて学校に行くのが「普通」。
みんなと同じように、集団登校で行くのが「普通」。
車で送るなんて、「普通」じゃない。
そう思っていました。
だから、僕は息子を「普通」に戻そうと、毎朝同じ言葉を言い続けていたんです。
でも、今思えば。
その言葉が、息子をどれだけ追い詰めていたか。
当時の僕には、わかっていませんでした。
「どうやったら学校に行けるんだろう」それしか考えていなかった
当時の僕の頭の中は、「学校に行かせること」でいっぱいでした。
朝起きてから、夜寝るまで。



どうやったら学校に行けるんだろう
明日はどうすれば行けるだろうか
そればかり考えていました。
仕事中も、デイケアのメンバーさんと話しながらも、頭の片隅には常に息子のことがありました。



今日は学校に行けただろうか
妻は無事に仕事に行けただろうか
職場から妻に電話をかけることもありました。



「今日はどうだった?」
妻は疲れた声で答えます。



「今日も泣いてた。先生が車まで来てくれて、何とか教室に入れた」



「そっか…」
僕は、それ以上何も言えませんでした。
家に帰ると、息子は普通に過ごしていました。
学校から帰ってきた後は、友達とゲームをしたり、テレビを見たり。



「今日、学校どうだった?」
僕が聞くと、息子は「楽しかった」と答えることもありました。
でも、翌朝になると、また同じ。
玄関で固まって、泣いて、車で送る。
この繰り返しでした。
僕は毎朝、起きると胃薬を飲んでいました。
朝が来るのが憂鬱でした。



また今日も、あの朝が始まる
そう思うと、胃がキリキリと痛みました。
でも、僕の頭の中にあったのは「息子の辛さ」ではありませんでした。
「どうやったら普通に学校に行けるのか」
「いつになったら歩いて行けるのか」
「このままでは、どうなってしまうのか」
息子の「辛さ」を理解しようとするより、「行かせなきゃ」という焦りが優先していたんです。



学校に行けないなんて、おかしい
小学生なのに、車で送るなんて
このままじゃ、この子はどうなってしまうんだ
そんな思いでいっぱいでした。
だから、「歩いて行ったら?」と毎朝言い続けていました。
息子を変えようとしていました。
「普通」に戻そうとしていました。
でも、変えなきゃいけなかったのは、息子ではなく僕自身だったんです。
当時の僕には、それがわかりませんでした。
精神科デイケアのセンター長なのに、専門知識が全く役に立たなかった
僕は、精神科デイケアのセンター長です。
職場では、メンバーさんの気持ちに寄り添い、焦らず一歩ずつ進むことの大切さを伝えています。



「無理しなくていいですよ」
「少しずつで大丈夫です」
「焦らず、自分のペースで」
そう声をかけることができます。
メンバーさんが不安を抱えていても、冷静に話を聞き、一緒に考えることができます。
でも、我が子の前では違いました。
息子が「学校に行きたくない」と泣いている姿を見ると、冷静ではいられませんでした。



「どうして行けないの?」
「みんな行ってるのに」
職場では絶対に言わない言葉を、息子には言っていました。
専門知識も、職場での経験も、全く役に立ちませんでした。
僕は、「分離不安」という言葉で片付けようとしていました。



朝、親と離れる時の不安が強いんだろう
保育園の時もそうだったし
時間が経てば、自然と改善されるはず
専門用語で説明して、安心しようとしていたんです。
でも、それは息子の本当の辛さから目を背けていただけでした。
職場では、メンバーさん一人ひとりの状況を丁寧に見ていきます。
「今どんな気持ちなんですか?」
「何が辛いんですか?」
「どうすれば良いか、一緒に考えてみましょう。」
そうやって、その人に合った支援を考えます。
でも、息子には同じことができませんでした。
息子の「辛さ」を聞くより、「どうやったら行けるか」ばかり考えていました。
息子に寄り添うより、「普通に戻すこと」を優先していました。
なぜ、こんなにも違ったのか。
それは、息子が「自分の子ども」だったからです。
職場では、冷静に客観的に見ることができます。
でも、我が子となると、冷静ではいられませんでした。
「この子の将来が心配」
「このままではどうなってしまうのか」
そんな不安と焦りで、頭がいっぱいでした。
専門職としての知識や経験は、我が子の前では何の役にも立ちませんでした。
僕は、ただの「焦る父親」でしかなかったんです。
「1時間目が終わる頃には泣き止んでいます」という報告に、自分を納得させていた
車で学校に着くと、息子は泣きました。
駐車場に車を停める。



「着いたよ。降りよう」
僕が声をかけても、息子はシートベルトを外そうとしません。



「行きたくない…」
小さな声で、そう言います。
時間が過ぎていきます。
始業時間が迫ってきます。
やがて、先生が車まで迎えに来てくれました。
「おはよう。今日も頑張ろうね」
先生は優しく笑顔で、車のドアを開けてくれます。
でも息子は、座席にしがみついて、降りようとしません。
「大丈夫だよ。一緒に行こう」
先生が手を差し伸べてくれます。
最後には、半ば強引に、先生が息子を車から降ろして、教室に連れて行ってくれました。
泣きながら、振り返って僕を見る息子。



「パパー!!!」
助けを求める声が、車の中まで聞こえてきました。
先生に手を引かれて、校舎の中に消えていく息子の背中。
僕は、車の中で深いため息をつきました。
罪悪感がありました。



こんなに嫌がっているのに、無理やり連れて行っていいのか?
これで良いのか?
その罪悪感は、毎日、後ろ髪を引かれる思いとして残りました。
放課後、先生から言われる言葉。
「1時間目が終わる頃には泣き止んでいますよ」
「友達とも遊んでいます」
「授業も受けられていますよ」
その言葉を聞くと、僕は自分に言い聞かせていました。
「大丈夫なんだ」
「学校では過ごせているんだ」
「朝、親と離れる時だけの問題なんだ」
でも、本当は違いました。
自分を納得させようとしていただけだったんです。
朝、あれだけ泣いて抵抗する息子を、半ば強引に学校に連れて行く。
その行為への罪悪感を、先生の言葉で消そうとしていました。



これで良いのか?
その問いは、毎日、僕の心に残り続けました。
でも、その問いと向き合うことができませんでした。
なぜなら、向き合ってしまったら、「学校に行かせる」という選択を続けられなくなるからです。
だから僕は、先生の言葉に縋っていました。
「学校では大丈夫」
その言葉だけを信じて、自分を納得させていました。
でも今思えば、息子は学校で「頑張って」いたんです。
あれだけ泣いて抵抗していたのに、学校に入ったら「みんなと同じようにしなきゃ」と自分に言い聞かせていた。
友達と遊ぶ。授業を受ける。給食を食べる。
すべてを、必死の頑張りで乗り越えていました。
その頑張りが、どれだけ息子の心を削っていたか。
「1時間目が終わる頃には泣き止む」という報告に、自分を納得させていた僕は、息子の限界に気づいていませんでした。
「学校では大丈夫」
その言葉に縋って、息子の本当の辛さから目を背けていました。
この「自分への言い聞かせ」が、息子の限界を見逃す原因だったんです。
そしてこの後、息子はついに玄関から一歩も出られなくなります。
「歩いて行ったら?」という言葉が、息子をどれだけ追い詰めていたか





「歩いて行ったら?」
毎朝、車の中で息子に言っていたこの言葉。
当時の僕は、励ましのつもりでした。



「みんなと一緒だから大丈夫だよ」
「明日は歩いて行ってみたら?」
そう言えば、息子も「頑張ろう」と思えるんじゃないか。
そう信じていました。
でも、今思えば。
あの言葉が、息子をどれだけ追い詰めていたか。
息子の中には、すでにプレッシャーがありました。
「小学生は歩いて学校に行くもの」
「友達も歩いて行ってるから、僕も歩いて行かなきゃ」
春に集団登校を頑張っていた時、息子はそう思っていたんです。
でも、夏休みの児童クラブで心が折れて、もうその頑張りを続けることができなくなっていました。
「歩いて行けない自分」に、息子自身が一番苦しんでいたんです。
そんな息子に、僕は毎朝言い続けていました。



「歩いて行ったら?」
「みんな歩いていくのにおかしいよ」
その言葉は、息子の中にあるプレッシャーを、さらに強めるだけでした。
「やっぱり、歩いて行けない僕はおかしいんだ」
「パパも、僕が歩いて行けないことを変だと思ってるんだ」
息子は、そう感じていたはずです。
後から妻に言われました。



「それ、毎日言う必要ある?」
妻のその一言で、僕はハッとしました。



「毎日同じこと言われて、本人が一番辛いんじゃない?」
そう続けました。
そうだったんです。
僕の言葉は、励ましでも何でもありませんでした。
ただ、息子を追い詰めていただけだったんです。
「普通」に戻ってほしいという、親の勝手な願いを押し付けていただけでした。
息子が本当に必要としていたのは、「歩いて行ったら?」という言葉ではありませんでした。
「車で送るよ。大丈夫だよ」
そう言って、ありのままを受け入れることだったんです。
でも、当時の僕にはそれができませんでした。
「歩いて行ったら?」という言葉を言い続けて、息子をさらに追い詰めていました。
そしてこの後、状況はさらに悪化していきます。
息子は、玄関先で「怯えているように手足が震える」ようになりました。
まとめ:あの時の自分に、今なら何と言うか
車で学校まで送る日々。
毎朝「歩いて行ったら?」と言い続けていた僕。
「どうやったら学校に行けるんだろう」ばかり考えていた僕。
「1時間目が終わる頃には泣き止む」という報告に、自分を納得させていた僕。
あの時の自分は、息子を見ていませんでした。
「普通」に戻すことしか考えていませんでした。
精神科デイケアのセンター長として、職場では冷静に対応できるのに。
我が子の前では、ただの「焦る父親」でしかありませんでした。
専門知識も、職場での経験も、全く役に立ちませんでした。
もし、あの時の自分に会えるなら。
今の僕は、こう言いたい。



「焦らなくていい」
「息子を変えようとしなくていい」
「普通なんて、どうでもいい」
そして、何より。



「息子の辛さを、ちゃんと見てあげて」
車で送ることは、恥ずかしいことじゃない。
息子にとって必要な支援だったんです。
「歩いて行ったら?」という言葉は、励ましではなく、プレッシャーでした。
息子が本当に必要としていたのは、「車で送るよ。大丈夫だよ」という、ありのままを受け入れる言葉でした。
でも、当時の僕には、それができませんでした。
この記事を読んでくださっている方の中には、今まさに同じ状況にいる方もいるかもしれません。
お子さんを車で送っている方。
毎朝「歩いて行ったら?」と言ってしまっている方。
「学校では大丈夫」という報告に、自分を納得させている方。
もしそうなら、お伝えしたいことがあります。
お子さんが必要としているのは、「普通に戻ること」ではなく、「今のままの自分を受け入れてもらうこと」ではないかと、僕は思います。
車で送ることは、決して甘やかしではありません。
僕は、それに気づくのに時間がかかりました。
そしてこの後、息子の状況はさらに悪化していきます。
玄関先で「怯えているように手足が震える」息子。
そして、僕が壁に物を投げつけてしまった日。
あの日のことは、今でも忘れられません。
※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。
【次回予告】
車で送る日々が続いていましたが、やがて息子は玄関から一歩も出られなくなりました。
玄関先で「行きたくない」と泣きわめく息子。
「怯えているように手足が震える」息子の姿。
僕と妻は、その姿を見て、何を感じたのか。
そして、どう対応したのか。
次回は、息子が玄関先で震えていた日のことを書きます。
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