精神科OTパパ「なんで学校に行けないの?」
「何があったの?」
「誰かに嫌なことされた?」
息子が学校に行けなくなった時、僕は毎日のように理由を聞いていました。
理由がわかれば、解決できる。
そう思っていました。
でも、息子は答えられませんでした。



「わからない」
「なんとなく」
「……」
今振り返ると、息子も本当にわからなかったんだと思います。
そして、「原因」を探すことが、間違いだったのかもしれません。
この記事は、親として振り返る、息子の不登校についての記録です。
これは僕の観察と解釈であり、息子の本当の気持ちは、息子にしかわかりません。
一つの体験として、読んでいただければと思います。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 僕が息子に「理由」を聞き続けた日々
- 今だからわかる、息子が抱えていたもの(僕の観察から)
- 「原因」ではなく「きっかけの積み重ね」だったこと
- 専門職として、親として学んだこと
- 同じように悩む親御さんへのメッセージ
息子に「理由」を聞き続けた日々



息子が学校に行けなくなった小1の秋から、僕は理由を聞き続けました。
毎朝、質問攻めにしていた
玄関先で動けなくなる息子に、僕は聞きました。
「なんで行けないの?」
「何があったの?」
「先生が怖い?」
「友達に何か言われた?」
「勉強が嫌なの?」
息子は「わからない」「なんとなく」と答えるか、黙っているだけでした。
理由がわかれば、解決できると思っていた
僕は、理由さえわかれば解決できると思っていました。
いじめがあったり、先生が怖いなら、学校に相談すればいい。
勉強が嫌なら、サポートすればいい。
だから、必死に理由を探していました。
心療内科の先生に言われた言葉
心療内科を受診した時、先生はこう言いました。
「原因や理由を無理に聞き出さないでください」
「お子さん自身もわからないことが多いんです」
その言葉を聞いた時、僕はハッとしました。
息子は、理由を「答えない」んじゃない。
本当に、わからないんだ。
それでも、聞くことをやめられなかった
頭では理解しても、すぐにはやめられませんでした。
「何かあったはずだ」
「理由がないはずがない」
そう思い込んでいました。
息子に「なんで?」と聞くことを、完全にやめられるようになったのは、小2の頃でした。
約1年間、僕は息子を質問攻めにしていました。
今思えば、それも息子を追い詰める行為だったと思います。
今だからわかる、息子が抱えていたもの(僕の観察から)





8年経った今、当時の息子の様子を振り返ると、見えてくるものがあります。
これは僕の観察と解釈であり、息子の本当の気持ちは、息子にしかわかりません。
環境の変化が重なった
年長の時、大好きだった曾祖父が亡くなりました。
同じ月に、自宅の引っ越しと弟の誕生がありました。
そして、小学校入学。
環境の変化が、一気に押し寄せました。
当時は気づいていませんでしたが、息子にとって大きな負担だったのかもしれません。
「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャー
息子は、元々真面目な性格でした。



「小学生は歩いて学校に行く」
「友達も歩いて行ってるから僕も歩いていかなくちゃ」
そんな言葉を口にしていました。
「ちゃんとしなきゃ」という思いが、強かったのだと思います。
でも、体は動かない。心は拒否している。
「行かなきゃいけないのに、行けない自分」
その矛盾に、息子は苦しんでいたように見えました。
親の期待を感じていた
僕も妻も、息子に「学校に行ってほしい」と思っていました。
言葉では「無理しなくていい」と言っても、僕たちの不安や焦りは、息子に伝わっていたと思います。



学校に行けない自分は、親を困らせている
息子は、そう感じていたのではないでしょうか。
「ごめんね、ごめんね」と何度も謝っていた息子の姿が、それを物語っていました。
「みんなと同じ」でいたかった
息子は、「みんなと同じ」でいたかったんだと思います。
友達と一緒に学校に行きたい。
みんなと一緒に授業を受けたい。
普通に学校生活を送りたい。
その気持ちは、確かにありました。
妻が教室に付き添っている時も、息子は教室に入ろうとチャレンジしていました。
廊下を進んでは戻ってを繰り返し、2時間以上かかって教室に入ることもありました。
「みんなと同じようにしたい」という気持ちと、「できない」という現実の狭間で、苦しんでいたように見えました。
自分だけが「特別」という負い目
小1の冬から小2が終わるまで妻が付き添い登校中、息子の教室の近くにある倉庫のような場所が、息子が教室に入れるまでの息子と妻の待機場所でした。
学校側の配慮でしたが、息子は「自分だけ違う場所にいる」という負い目を感じていました。
小3の時も、会議室で校長先生や教頭先生と過ごしていた時期があり、同じように負い目を感じていたようでした。
小4で支援学級に通えるようになった時、息子は少し楽になったように見えました。
「自分だけが特別」ではなく、「ここには同じような友達がいる」と思えたのかもしれません。
吃音と不安
息子は2歳頃から吃音がありました。
僕には、不安が強い時ほど、吃音が目立つように感じられました。
学校での不安、親の期待への不安、「みんなと違う自分」への不安。
様々な不安が、息子の心を圧迫していたのかもしれません。
ここに書いたことは、当時の息子の様子から僕が感じたことです。
息子の本当の気持ちは、息子にしかわかりません。
もしかしたら、僕が気づいていない別の何かがあったのかもしれません。
でも、これらのことが複雑に絡み合って、息子は学校に行けなくなったのではないか。
そう思っています。
「原因」ではなく「きっかけの積み重ね」だったこと



息子が学校に行けなくなった時、僕は「原因」を探していました。
でも、今振り返ると、それは「原因」ではなく「きっかけの積み重ね」だったのだと思います。
「これが原因」というものはなかった
いじめがあったわけではありません。
先生が怖かったわけでもありません。
勉強が極端に嫌だったわけでもありません。
明確な「これが原因」というものは、ありませんでした。
だから、息子も「わからない」と答えるしかなかったんだと思います。
小さなきっかけが、積み重なっていた
環境の変化。
「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャー。
親の期待を感じる不安。
「みんなと同じ」でいられない辛さ。
「自分だけが特別」という負い目。
吃音への不安。
これらの小さなきっかけが、少しずつ積み重なっていったのだと思います。
それが積み重なった時、息子の心は耐えられなくなったのではないでしょうか。
コップの水があふれるように
発達障がい者支援センターのスタッフが、こんな例え話をしてくれました。
「コップに水を注いでいくように、小さなストレスが少しずつ溜まっていくんです」
「そして、あるタイミングであふれ出す。その時に『学校に行けない』という状態になるんです」
この例えが、とても腑に落ちました。
息子も、小さなストレスが少しずつ溜まっていって、ある時あふれ出したのかもしれません。
「原因」を探すことが、間違いだった
「なんで行けないの?」と聞き続けた僕。
でも、「原因」を探すこと自体が、間違いだったのかもしれません。
明確な原因があるわけではなく、様々なことが複雑に絡み合っている。
それを理解していれば、もっと違う関わり方ができたかもしれません。
「原因」ではなく「今の状態」を見るべきだった
「なぜ学校に行けないのか」ではなく、「今、息子はどういう状態なのか」を見るべきでした。
息子は、心がいっぱいいっぱいの状態だった。
それを理解して、心を休ませてあげることが必要だった。
でも、僕は「原因」を探すことに必死で、息子の「今」を見ていませんでした。
専門職なのに、気づけなかった
僕は22歳から精神科作業療法士として働いています。
患者さんや利用者さんには、
「無理しなくて良いんですよ」
「過去や未来を考えるのではなく、今に焦点を当てることが大切です。」
と話していました。
でも、自分の息子には、それができませんでした。
親になると、冷静ではいられなかったんです。
今でも、その時の自分を後悔しています。
専門職として、親として学んだこと





この5年間で、専門職として、そして親として、多くのことを学びました。
① 理論と実践は違う
精神科作業療法士として、僕は多くの理論を学んできました。
「子どもを追い詰めない」
「無理に聞き出さない」
「寄り添う」
頭では、全部わかっていました。
でも、実際に自分の息子が不登校になった時、それができませんでした。
理論を知っていることと、実践できることは、全く違うんだと痛感しました。
② 親は冷静ではいられない
職場では、冷静に利用者さんをサポートできます。
客観的に状況を見て、適切な助言ができます。
でも、自分の子どものこととなると、冷静ではいられませんでした。
不安、焦り、無力感、世間体への恐怖。
様々な感情が渦巻いて、冷静な判断ができませんでした。
親とは、そういうものなんだと学びました。
③ 「わからない」も一つの答え
息子が「わからない」と答えた時、僕は「答えになっていない」と思っていました。
でも、「わからない」も一つの答えだったんです。
本当にわからなかったんです。
それを受け入れることが、大切でした。
④ 「原因」よりも「今」を見ること
「なぜ学校に行けないのか」という原因探しではなく、「今、どういう状態なのか」を見ること。
それが、何よりも大切だったと学びました。
原因を探すことに必死になって、息子の「今」を見ていなかった自分を、深く反省しています。
⑤ 専門職の知識は、役に立った
ただし、専門職としての知識が全く役に立たなかったわけではありません。
心療内科や発達障がい者支援センターの先生方の話を、理解することができました。
「あの人たちは専門家だから、信頼して任せよう」と思えました。
専門職としての知識があったからこそ、スムーズに専門家の力を借りることができたのだと思います。
⑥ 親も完璧じゃなくていい
僕は、「ちゃんとした父親」でいなければと思っていました。
専門職なんだから、できて当たり前だと。
でも、親も完璧じゃなくていいんだと学びました。
逆に、完ぺきではない父親、完ぺきではないセンター長をあえてみせることで、プラスに働くことが多かった。
失敗もするし、わからないこともある。
それを見せることや認めることが、大切でした。
⑦ 一人で抱え込まないこと
妻との話し合い、心療内科、発達障がい者支援センター、学校の先生方。
多くの人の助けがあったから、僕たちは乗り越えられました。
一人で、あるいは家族だけで抱え込まないこと。
それが、何よりも大切だと学びました。
同じように悩む親御さんへ



もし今、お子さんの不登校で悩んでいる親御さんがこれを読んでくださっているなら、伝えたいことがあります。
「なんで?」と聞きたくなる気持ち、わかります
理由がわかれば、解決できる。
そう思いますよね。
僕も同じでした。
でも、お子さん自身も、本当にわからないのかもしれません。
「わからない」という答えを、受け入れてあげてください。
「原因」ではなく「今」を見てあげてください
「なぜ学校に行けないのか」ではなく、「今、どういう状態なのか」。
お子さんは、心がいっぱいいっぱいなのかもしれません。
その「今」を、見てあげてください。
一人で抱え込まないでください
心療内科、教育相談、スクールカウンセラー、発達障がい者支援センター。
専門家の力を借りてください。
一人で、あるいは家族だけで抱え込まないでください。
親も完璧じゃなくていい
僕も、たくさん失敗しました。
息子に怒鳴ったり、質問攻めにしたり、息子の前で妻と喧嘩したり。
親も完璧じゃなくていいんです。
失敗しながらでも、少しずつ前に進めます。
「その先」があります
すぐには変わらないかもしれません。
5年かかるかもしれないし、もっと短いかもしれない。
でも、「今」がこの先ずっと続くわけではありません。
お子さんなりのペースで、少しずつ変化していきます。
一緒に、歩いていきましょう。
まとめ
- 息子に「理由」を聞き続けましたが、息子も本当にわからなかったのだと思います
- 環境の変化、プレッシャー、不安など、小さなきっかけが積み重なっていました
- 「原因」ではなく「きっかけの積み重ね」だったのだと思います
- 専門職として、親として、多くのことを学びました
- 「原因」ではなく「今」を見ることが大切です
この記事は、親として振り返る、息子の不登校についての記録です。
息子の本当の気持ちは、息子にしかわかりません。
これは、僕の観察と解釈です。
でも、同じように「なんで?」と聞き続けて苦しんでいる方の、何かのヒントになれば嬉しいです。
「わからない」も一つの答え。
「原因」を探すのではなく、「今」を見る。
それが、僕が学んだことです。
一緒に、歩いていきましょう。
※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。
【次回予告】
ここから先は、息子の不登校5年の中で実際に何が起きていたのかを、時系列で振り返っていこうと思います。
次の記事は、
息子がまだ年中だった頃の「行き渋り」の話について書きます。
▼次の記事
年中の行き渋り:「みんな普通に行ってるよ」と言ってしまった
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妻と僕が5年間、毎晩話し合ったこと
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