息子が年長になった春以降。
大好きだった曾祖父が亡くなり、家族で引っ越しをし、妻が弟を出産しました。
大きな環境の変化が、ほぼ同時期に訪れたんです。
そのころから、息子の保育園への行き渋りは、年中の頃とは比べ物にならないほど激しくなりました。
「行きたくない」と泣きながら訴える息子。
でも車には乗る。
保育園に着くと、車から降りられない。
仕事に遅れる焦りから、僕は息子に怒鳴ってしまいました。
「いいかげんにしろ!」
そして毎朝、泣きながら先生に引き渡す息子を見て、車に戻る。
後ろ髪が引かれる思いで、仕事に向かっていました。
この状態は、卒園まで続きました。
この記事は、その時の息子の様子と僕の対応の、正直な記録です。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 年長の春に重なった環境の変化(曾祖父の死・引っ越し・弟の誕生)と行き渋りの悪化
- 「いいかげんにしろ!」と怒鳴り、泣く息子を先生に引き渡した毎朝の葛藤
- 「登園後は楽しく遊んでいます」という報告を信じて安心していた親の思い
- 環境の変化が子どもに与える影響と、専門職でも気づけなかった心のSOS
- 卒園まで続いた朝の別れの辛さと、当時できたかもしれない選択肢
環境の変化が重なった年長の春

息子が年長に進級した直後、私たち家族には大きな変化が訪れました。
まず、息子が大好きだった曾祖父が亡くなりました。
息子にとって、曾祖父は特別な存在でした。
2週間に1度は会いに来てくれていた曾祖父。
会うたびに優しく話しかけてくれて、一緒に遊んでくれた。
その曾祖父との別れは、息子にとって初めて経験する「死」でした。
そして、自宅の引っ越し。
住み慣れた家を離れ、新しい環境へ。
大人でも大きなストレスになることです。
さらに、妻の出産。
弟が生まれて、家族が増える喜び。
でも同時に、息子にとっては「ママを独占できなくなる」という変化でもありました。
これらすべてが、ほぼ同時期に起こったんです。
今振り返れば、息子の心にどれだけの負担がかかっていたか、想像できます。
でも当時の僕は、
「子どもは順応性が高いから」
「弟が生まれて嬉しいはずだから」
と、楽観的に考えていました。
むしろ、息子に「お兄ちゃんになるんだから、しっかりしないとね」ということを伝えていました。
専門職として、環境の変化が子どもに与える影響について知識はあったはずなのに、わが子に対しては、その知識を活かせていませんでした。
行き渋りが激しくなった
環境の変化が重なったころから、息子の保育園への行き渋りは、年中の時とは明らかに違っていました。
朝、「保育園行きたくない」と泣きながら訴える息子。
でも、車には乗るんです。
年中の頃は、たまに泣く程度でした。
でも年長になってからは、ほとんど毎日。
朝の準備から、すでに息子の表情は曇っていました。
「今日も泣くだろうな」
僕も妻も、朝を迎えるのが憂鬱になっていました。
車に乗せて保育園に向かう道中、息子は小さくなって座っています。
時々、小さな声で「行きたくない」とつぶやく。
でも、保育園に着くと、本当の問題が始まります。
車から降りられないんです。
精神科OTパパ「ほら、着いたよ。降りよう」
僕が声をかけても、息子は首を横に振るだけ。
シートベルトを外しても、動かない。
時計を見ます。
仕事の開始時刻が迫っています。



「お願いだから、降りて」
何度も何度も声をかけても、息子は泣きながら首を振り続けました。
年中の頃は、時々こういう日がある程度でした。
でも年長になってからは、ほとんど毎日がこの状態。



なんで急にこんなに行き渋りが酷くなったんだろう
当時の僕は、年長さんというプレッシャーも、曾祖父の死も、引っ越しも、弟の誕生も、すべてが息子の心に影響を与えていることに、気づけていませんでした。
「いいかげんにしろ!」と怒鳴った朝
ある朝のことです。
いつものように、保育園の駐車場で車から降りられない息子。
「降りよう」と何度声をかけても、泣きながら首を振るだけ。
時計を見ます。
すぐに保育園を出ないと仕事に遅刻してしまう時間になっています。
焦りが、イライラに変わっていきました。



「お願いだから、降りて」
「先生も待ってるよ」
「パパも仕事に行かなきゃいけないんだよ」
何を言っても、息子は動きません。
そして、僕の中で何かがプツンと切れました。



「いいかげんにしろ!」
大声で怒鳴ってしまいました。
息子の体を抱きかかえて、無理やり車から降ろす。
泣きわめく息子を引っ張って、保育園の玄関に連れていく。
先生が気づいて、駆け寄ってきてくれました。
「おはようございます。今日もちょっと…」
先生は優しく笑顔で、泣いている息子の手を取ってくれます。
「大丈夫ですよ。いってらっしゃい」
息子は先生に手を引かれながら、泣きながら振り返って僕を見ています。
その目には、恐怖と悲しみが混じっていました。
「パパ、待って・・・パパ・・・」
助けを求める息子を横目に、僕は車に戻りました。
ハンドルを握る手が震えています。
「何やってるんだ、俺は」
息子を怒鳴って、無理やり降ろして、泣かせて。
精神科で働く作業療法士が、不安で泣いている子どもに、やってはいけないことばかりしている。
でも、明日も同じことを繰り返すんだろう。
そう思うと、仕事に向かう車の中で、涙が溢れました。
「登園後は楽しく遊んでいます」という先生の言葉


お迎えの時、先生から毎日のように報告を受けていました。
「今日もしばらく泣いていましたが、10分ほどで落ち着きました」
「その後はお友達と元気に遊んでいましたよ」
「給食もちゃんと食べていました」
先生の言葉は、いつも優しくて、前向きでした。
「朝は大変でしょうけど、園ではちゃんと過ごせているので大丈夫ですよ」
この「大丈夫」という言葉に、僕は安心していました。
そうか、園では問題なく過ごせているんだ。
だったら、朝だけの問題なんだ。
そのうち慣れれば、朝も泣かなくなるはず。
僕はそう信じたかったんです。
朝、あんなに泣いて嫌がっていた息子が、園では楽しく遊んでいる。
だから「本当は保育園が嫌なわけじゃない」「親と離れることへの不安だろう」と解釈していました。
精神科で働く僕なら、こう考えるべきでした。
「登園後に落ち着いて遊べるのは、息子が必死に頑張っているからかもしれない」
「朝の大泣きは、その頑張りのための心のエネルギーを使い果たすほどのストレスサインかもしれない」
でも、父親としての僕は、そこまで考えられませんでした。
「園では大丈夫」という言葉に、安心したかった。
このまま続けていれば、いつか慣れる。
朝も泣かなくなる。
そう信じていたかったんです。
でも今思えば、あの時の息子は、園で「頑張って」いたんです。
朝、あれだけ泣いて抵抗していたのに、園に入ったら「頑張らなきゃ」と自分に言い聞かせて、必死に過ごしていた。
その頑張りを、僕は「大丈夫」と勘違いしていました。
帰宅後は「楽しかった」と話す息子
保育園から帰ってきた息子は、普通に過ごしていました。
「今日は何したの?」
僕が聞くと、息子は「〇〇くんと遊んだよ」「給食おいしかった」と答えてくれる。
表情も明るい。
朝、あんなに泣いていたのが嘘のようです。



「ほら、やっぱり楽しかったんじゃん」
僕はそう言って、息子の頭を撫でました。
息子は小さく頷いていました。
夕方から夜にかけて、息子は普通に遊んで、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る。
特に変わった様子はありませんでした。
だから僕は、「やっぱり朝だけの問題なんだ」と思っていました。
でも、この「楽しかった」という言葉の裏側に、何があったのか。
今なら想像できます。
息子は、パパやママを安心させたかったんじゃないか。
「保育園、楽しかったよ」と言えば、パパとママが安心する。
朝、迷惑をかけたから、帰ってからは心配かけないようにしなきゃ。
そんなふうに、小さな心で考えていたのかもしれません。
朝は泣いて嫌がる。
でも園では頑張る。
帰宅後は「楽しかった」と言う。
この矛盾に、当時の僕は気づけませんでした。
いや、薄々気づいていたけど、認めたくなかったのかもしれません。
「園では大丈夫」
「帰ってからも普通」
「だから問題ない」
そう信じることで、毎朝泣かせて送り出している自分を、正当化していたんだと思います。
環境の変化が子どもに与える影響
今振り返ると、年長の春に起きた環境の変化は、息子にとってあまりにも大きかったと思います。
曾祖父の死。
自宅の引っ越し。
弟の誕生。
一つ一つは、確かに「よくあること」です。
人は必ず死を迎えます。
引っ越しも、多くの家庭が経験すること。
弟や妹が生まれることも、珍しいことではありません。
でも、それらが同時期に重なったらどうでしょうか。
大人でさえ、大きなストレスになります。
まして、まだ5歳の子どもです。
大好きだった曾祖父がいなくなった悲しみ。
住み慣れた家を離れる不安。
ママが赤ちゃんにかかりきりになる寂しさ。
息子は、これらすべてを同時に抱えていたんです。
精神科で働く僕なら、知っているはずでした。
ライフイベントはストレスになり得ます。
結婚、転職、引っ越し、身近な人の死。
こういった出来事は、たとえ良い変化であっても、心に大きな負担をかけます。
複数のストレスが重なると、その影響は単純に足し算ではなく、掛け算のように大きくなることもあると言われています。
でも当時の僕は、わが子に対してその視点を持てていませんでした。



「子どもは順応性が高い」
「弟ができて嬉しいはずだ」
「お兄ちゃんになったんだから、しっかりしないとね」
そんな大人の勝手な思い込みで、息子に「頑張れ」というメッセージを送り続けていました。
息子の心が、悲鳴を上げていたのに。
当時の僕は、息子の心のSOSに気づけなかった
毎朝、あれだけ泣いて嫌がっていた息子。
今振り返れば、SOSだったのだと思います。
「パパ、助けて」
「こんなに不安なんだよ」
「もう限界なんだよ」
息子は、言葉ではなく涙で、必死に訴えていたんです。
でも僕は、そのSOSを見逃していました。
「園では楽しく遊んでいます」という先生の言葉。
「楽しかったよ」という帰宅後の息子の言葉。
これらに安心して、「朝だけの問題」だと思い込んでいました。
子どもは、大人が思う以上に「良い子」でいようとする。
親や先生を心配させないように、頑張ってしまう。
頭ではわかっていたはずなのに、わが子のこととなると、まったく見えていませんでした。



「そのうち慣れる」
「時間が解決する」
「みんな通る道だ」
そんな言葉で、自分を納得させていたんです。
本当は、息子が毎朝見せていた涙が、すべてを物語っていたのに。
あの涙は、「もう頑張れない」というサインだったのに。
僕は、それを見ないふりをして、毎朝、泣きながら送り出し続けていました。
仕事がある。
保育園に行かせなきゃいけない。
そのうち慣れる。
そんな言い訳で、息子の心の叫びから目を背けていたんです。
まとめ:卒園まで続いた朝の別れの辛さ
結局、この状態は卒園まで続きました。
年長の1年間、ほぼ毎日、同じことの繰り返しでした。
朝、泣いて車から降りられない息子。
焦りからイライラする僕。
時には怒鳴ってしまう。
先生に引き渡して、後ろ髪を引かれる思いで仕事へ。
何も変わらない日々。
「このまま小学校に上がって大丈夫なのか」
そんな不安を抱えながら、僕たちは息子の卒園を迎えました。
今振り返ると、あの時、もっと違う選択肢があったはずです。
保育園を休ませて、息子の心を休ませる時間を作る。
仕事を調整して、もっと息子に寄り添う時間を持つ。
専門家に早めに相談する。
でも当時の僕には、そういった選択肢が見えていませんでした。
「保育園は行くもの」
「休ませたら、もっと行けなくなる」
「仕事を休むわけにはいかない」
そんな思い込みに縛られていたんです。
この記事を読んでくださっている方の中には、同じように毎朝お子さんを泣かせながら送り出している方もいるかもしれません。
でも、もし今、同じ状況で悩んでいるなら。
「これが当たり前」と思わないでください。
「そのうち慣れる」と先延ばしにしないでください。
お子さんの涙は、何かを伝えようとしているサインです。
その声に、耳を傾けてあげてください。
僕は、息子の声を聞けなかった。
その後悔は、今も消えません。
でも、息子は今、中学2年生になりました。
生徒会で活躍し、部活にも励んでいます。
あの頃の辛さを乗り越えて、ここまで成長してくれた息子に、心から感謝しています。
※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。
【次回予告】
迎えた小学1年生の春。
僕たちも息子も、不安と期待でいっぱいでした。
「小学校では変わるかもしれない」
そんな淡い期待を抱いて。
最初は順調に見えた登校。
でも、夏休みの児童クラブで、状況は一変します。
次回は、小学1年の春から夏にかけての出来事を書きます。
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