特別児童扶養手当の受給

特別児童扶養手当の受給

発達障がい者支援センターと心療内科。

二つの専門機関に通い始めて、僕たちは少し前に進むことができました。

息子も、「話したら少しスッキリする」と言ってくれました。

でも、状況は簡単には変わりませんでした。

妻は、毎日息子と一緒に学校に行っていました。

パートで働きながら、息子の送迎と付き添い。

有給も底をつき、欠勤する日がほとんどでした。

僕も、仕事をしながら息子のサポートをしていました。

経済的な不安も、大きくなっていました。

そんな中、心療内科の先生に、僕たちの経済状況についても相談しました。

すると、先生が言いました。

「特別児童扶養手当という制度がありますよ」

「利用を考えるなら、診断書も書けます」

特別児童扶養手当。

その言葉を聞いた時、僕は少し戸惑いました。

この記事では、特別児童扶養手当の受給について書きます。

精神科OTパパについて
精神科OTパパの人のアイコン
  • 精神科病院で作業療法士19年目
  • 現在、精神科デイケアセンター長
  • 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
この記事の要約
  • 特別児童扶養手当を知ったきっかけ
  • 制度を利用することへの僕たちの葛藤
  • 申請手続きの流れと診断書のこと
  • 受給が決まった時の気持ち
  • 経済的な支援が、僕たちの心を軽くしてくれたこと
目次

心療内科の先生が「特別児童扶養手当」という制度を教えてくれた

特別児童扶養手当

経済状況についても相談していた僕たち

心療内科には、月に1回通っていました。

担当医との面談では、息子の様子を報告するだけでなく、僕たち親の状況についても話していました。

「最近、どうですか?」

担当医が、いつものように聞いてくれました。

僕は、正直に答えました。

精神科OTパパ

「学校に関しては、大きく進展はありません。」
「吃音に関して息子がストレスを感じているようです。」
「ただ…経済的には、かなり厳しくて…」

妻も、続けて話しました。

看護師ママ

「私、パートで働いているんですが、息子の送迎と付き添いで、ほとんど出勤できていないんです」
「行けても週に1回か2回で…」

担当医は、頷きながら聞いてくれました。

「そうですか…大変ですね」

僕も、話しました。

精神科OTパパ

「夜は、息子が泣きわめいて、なかなか寝られない日もあって…」
「正直、経済的な不安が大きくなっています」

担当医は、静かに聞いてくれました。

そして、少し考えてから話し始めました。

先生からの提案

「実は、特別児童扶養手当という制度があるんです」

担当医が、そう言いました。

僕は、初めて聞く言葉でした。

精神科OTパパ

「特別児童扶養手当…ですか?」

制度の概要として、一定の基準に該当する場合に支給される手当だと説明を受けました

「お子さんの状態を見ていると、該当する可能性もあるかもしれない」という説明を受けました。

妻も、驚いた表情をしていました。

看護師ママ

「そんな制度があるんですね…」

診断書が必要になる制度で、作成も可能と説明を受けました

その言葉を聞いて、僕は少し戸惑いました。

妻も、黙っていました。

担当医は、僕たちの様子を見て言いました。

「今すぐ決めなくても大丈夫です」

「一度、ご夫婦で話し合ってみてください」

「制度について詳しく知りたければ、役所に相談することもできますよ」

僕は、頷きました。

精神科OTパパ

「わかりました。ありがとうございます」

「特別児童扶養手当」という言葉への戸惑い

心療内科を出て、車に乗り込みました。

しばらく、二人とも黙っていました。

僕が、口を開きました。

精神科OTパパ

「特別児童扶養手当…か」

看護師ママ

「うん…」

精神科OTパパ

「正直、戸惑ってる」

看護師ママ

「私も…」
「精神または身体に障がいのある児童」って言われて…」

その言葉が、僕たちの心に引っかかっていました。

「障がい」という言葉。

それを息子に当てはめることに、抵抗感がありました。

息子は、確かに学校に行けなくなっています。

毎日苦しんでいます。

でも、「障がいがある」と認めることは、また別の話でした。

妻が、言いました。

看護師ママ

「でも…経済的には、本当に厳しいよね」

精神科OTパパ

「うん…」
「俺の給料だけじゃ、正直きつい」
「お前も、ほとんど働けてないし…」

妻は、少し泣きそうな表情をしていました。

看護師ママ

「ごめんね…」

精神科OTパパ

「謝らないで」
「お前が悪いわけじゃないから」
「でも…どうしようか」

二人とも、答えが出ませんでした。

精神科OTパパ

「一度、家でゆっくり話し合おう」

看護師ママ

「うん…」

制度を利用することへの葛藤—「うちの子は、そこまでなのか」

「障がい」という言葉への抵抗感

その日の夜、息子が寝た後、僕と妻はリビングで話し合いました。

精神科OTパパ

「特別児童扶養手当…どう思う?」

妻は、少し考えてから答えました。

看護師ママ

「正直…複雑」
「経済的には助かるけど…」

僕も、同じ気持ちでした。

精神科OTパパ

「うん…『障がい』っていう言葉が、どうしても引っかかる」

看護師ママ

「私も」
「息子が『障がいのある子』って認定されるのが…なんか…」

その言葉を口にするのも、辛そうでした。

僕は、思いました。

精神科OTパパ

うちの子は、そこまでなのか

確かに、息子は学校に行けなくなっています。

毎朝泣いて、毎晩泣きわめいて。

でも、それは「障がい」なのか。

「一時的なもの」じゃないのか。

「いつか良くなる」んじゃないのか。

そんな思いが、頭の中をぐるぐると回っていました。

妻が、言いました。

看護師ママ

「でも…先生は『該当する可能性がある』って言ってたよね」

精神科OTパパ

「うん…」
「先生が言うんだから、たぶんそうなんだろうけど…」
「でも、認めたくない気持ちもある」

妻も、同じ表情をしていました。

看護師ママ

「私も…」

でも、経済的な不安は現実にあった

しばらく、二人とも黙っていました。

そして、僕が言いました。

精神科OTパパ

「でも…経済的には、本当に厳しいよね」

看護師ママ

「うん…」
「私、ほとんど働けてない」
「パートに行けても、週に1回か2回で…」
「それじゃ、ほとんど収入にならない」

僕も、現実を話しました。

精神科OTパパ

「俺の給料だけじゃ、正直きつい」
「今は何とかやってるけど、このままだと…」

貯金も、徐々に減っていました。

妻のパート収入がほとんどない中で、僕の給料だけで生活していました。

息子が学校に行けるようになるまで、あとどれくらいかかるのか。

先が見えない不安がありました。

妻が、言いました。

看護師ママ

「特別児童扶養手当って、どれくらいもらえるんだろう」

僕も、正確には知りませんでした。

精神科OTパパ

「詳しくはわからないけど…月に数万円くらいじゃないかな」
「それだけでも、かなり助かる」

妻も、頷きました。

看護師ママ

「そうだね…」
「数万円あれば、生活がだいぶ楽になる」

経済的な不安は、現実にありました。

それは、否定できない事実でした。

妻との話し合い

僕は、妻に言いました。

精神科OTパパ

「正直、俺も『障がい』って言葉には抵抗がある」
「でも…経済的に厳しいのも事実」
「息子のために、使えるものは使った方がいいんじゃないかな」

妻は、少し考えてから答えました。

看護師ママ

「うん…私もそう思う」
「『障がい』って認定されるのは、正直辛い」
「でも、それで息子のために使えるお金が増えるなら…」
「申請してみてもいいのかな」

精神科OTパパ

「うん…」

僕たちは、特別児童扶養手当の申請を進めることを決めました。

葛藤はありました。

「障がい」という言葉への抵抗感も、消えたわけではありませんでした。

でも、息子のために、そして家族のために、使える制度は使おうと思いました。

妻が、言いました。

看護師ママ

「次の診察で、先生に診断書をお願いしよう」

精神科OTパパ

「うん、そうしよう」

それは、僕たちにとって、大きな決断でした。

申請手続きを進めることを決めた

担当医に診断書を依頼

次の心療内科の診察日。

僕たちは、担当医に伝えました。

精神科OTパパ

「特別児童扶養手当の申請を進めたいと思います」
「診断書を、お願いできますか」

担当医は、優しく頷きました。

「わかりました.。診断書を作成しますね」

看護師ママ

「ありがとうございます」

担当医は、僕たちに説明してくれました。

「診断書は、2週間ほどで作成できます」

「完成したら、ご連絡しますね」

「その後、役所に申請書類と一緒に提出してください」

妻は、メモを取りながら聞きました。

看護師ママ

「わかりました」

担当医は、さらに続けました。

「審査には、少し時間がかかります」

「だいたい2〜3ヶ月くらいでしょうか」

「認定されれば、通知が届きます」

看護師ママ

「もし認定されなかった場合は…?」

担当医は、答えました。

「その場合も、通知が届きます」

可能性についても触れられましたが、最終的には審査によるとの説明でした。

診察が終わって、僕たちは心療内科を後にしました。

役所での手続き

2週間後、心療内科から連絡がありました。

「診断書ができました」

妻が、診断書を受け取りに行きました。

封筒に入った診断書を受け取る時、妻は手が少し震えたと言っていました。

中には、息子の診断名や状態が書かれているはずです。

でも、その場で開ける勇気はありませんでした。

家に帰ってから、妻と二人で診断書を見ました。

そこには、息子の状態が詳しく書かれていました。

妻は、黙って診断書を見ていました。

僕も、何も言えませんでした。

改めて、書面で見ると、現実が重くのしかかってきました。

しばらくして、僕が言いました。

精神科OTパパ

「明日、役所に行こう」

看護師ママ

「うん」

次の日、僕たちは役所に行きました。

窓口で、特別児童扶養手当の申請をしたい旨を伝えました。

担当の方が、丁寧に説明してくれました。

「こちらが申請書類です」

「診断書と一緒に提出してください」

「あと、戸籍謄本と住民票、通帳のコピーも必要になります」

僕たちは、その場で申請書類に記入しました。

息子の氏名、生年月日、現在の状態。

一つ一つ、丁寧に書いていきました。

必要書類を全て揃えて、提出しました。

「審査には、2〜3ヶ月ほどかかります」

「結果が出ましたら、郵送でお知らせします」

担当の方が、説明してくれました。

精神科OTパパ

「わかりました。ありがとうございます」

役所を出て、僕と妻は車に乗り込みました。

精神科OTパパ

「これで、申請終わったね」

看護師ママ

「うん…あとは結果を待つだけ…」

審査を待つ日々

申請してから、審査結果を待つ日々が始まりました。

2〜3ヶ月。

長い時間に感じられました。

その間も、息子の状態は変わりませんでした。

毎日、妻と一緒に学校に行って。

教室に入れたり、入れなかったり。

泣きながら過ごす日々が続いていました。

僕たちは、経済的な不安を抱えながら、毎日を過ごしていました。

看護師ママ

「認定されるかな」

妻が、時々そう言いました。

僕も、同じことを考えていました。

精神科OTパパ

「されると思うよ」
「先生も『可能性は高い』って言ってたし」

でも、心のどこかで不安もありました。

精神科OTパパ

もし認定されなかったら…

その不安は、消えませんでした。

そして、申請から約2ヶ月半後。

郵便受けに、役所からの封筒が届いていました。

受給が決まった日—複雑な気持ちだった

認定通知が届いた

申請から約2ヶ月半後のある日。

僕が仕事から帰ると、妻がリビングで封筒を持っていました。

看護師ママ

「役所から、通知が来てた」

僕の心臓が、ドキドキと鳴りました。

精神科OTパパ

「開けた?」

妻は、首を横に振りました。

看護師ママ

「まだ…あなたと一緒に見ようと思って」

精神科OTパパ

「うん」

そして、僕が封筒を受け取りました。

精神科OTパパ

「開けるよ」

妻も、頷きました。

ゆっくりと封を開けて、中の書類を取り出しました。

そこには、「特別児童扶養手当認定通知書」と書かれていました。

認定されました。

僕は、妻に書類を見せました。

精神科OTパパ

「認定された」

妻は、書類を見て、小さく頷きました。

看護師ママ

「うん…」

嬉しさと、複雑な思い

認定された。

それは、経済的には良いニュースでした。

4カ月に1度、4カ月分の手当が支給されます。

生活が、少し楽になります。

でも、素直に喜べませんでした。

妻も、同じだったと思います。

看護師ママ

「良かったね…」

妻が、そう言いました。

でも、その声は、あまり嬉しそうではありませんでした。

僕も、答えました。

精神科OTパパ

「うん…」

認定されたということは、息子が「障がいのある児童」として認められたということです。

それは、僕たちがずっと抵抗を感じていたことでした。

妻が、言いました。

看護師ママ

「これで、少しは生活が楽になるね」

精神科OTパパ

「うん…ありがたいよ」

でも、心の中では、複雑な思いがありました。

嬉しさと、悲しさと、安堵と、罪悪感。

色々な感情が、入り混じっていました。

息子に対する思い

その夜、息子が寝た後、僕と妻は二人で話しました。

看護師ママ

「認定されて、良かったのかな」

僕は、少し考えてから答えました。

精神科OTパパ

「良かったと思うよ」
「経済的には、本当に助かる」
「でも…複雑だよね」

看護師ママ

「うん…」
「息子が『障がいのある子』って認められて…」
「嬉しいような、悲しいような…」

僕も、同じ気持ちでした。

精神科OTパパ

「わかる」
「でも、これは息子のためでもあるから」
「この手当を、息子のために使おう」
「息子は、頑張ってる」
「俺たちも、頑張ってる」
「だから、使える制度は使っていいんだよ」

看護師ママ

「うん…ありがとう」

僕たちは、特別児童扶養手当を受給することになりました。

それは、経済的な支援であり、同時に、息子の状態を社会が認めてくれたということでもありました。

複雑な気持ちはありましたが、僕たちは前を向くことにしました。

息子のために。

家族のために。

経済的な支援が、僕たちの心を軽くしてくれた

サポート

妻の負担が少し減った

特別児童扶養手当の受給が始まってから、僕たちの生活は少し変わりました。

経済的な余裕ができたことで、妻の心の負担が少し減りました。

看護師ママ

「パートに行けなくても、大丈夫」

妻が、そう言いました。

今まで、妻は「働けていない」ことに罪悪感を感じていました。

看護師ママ

私が働けないから、家計が苦しい

そう思っていたと思います。

でも、手当が支給されるようになって、その罪悪感が少し軽くなったようでした。

看護師ママ

「息子の付き添いに専念できる」

妻は、そう言いました。

僕も、嬉しかったです。

精神科OTパパ

「うん。無理しなくていいよ」
「息子のそばにいてあげて」

妻も、頷きました。

看護師ママ

「ありがとう」

手当は、4カ月に1度、4カ月分がまとめて支給されました。

その金額は、僕たちにとって大きな助けになりました。

お金だけではない、制度の意味

でも、特別児童扶養手当の意味は、お金だけではありませんでした。

それは、息子の状態を社会が認めてくれたということでもありました。

「息子は、頑張っている」

「でも、サポートが必要な状態にある」

それを、社会が認めてくれた。

そのことが、僕たちの心を少し軽くしてくれました。

今まで、僕たちは周りから色々なことを言われてきました。

「甘やかしすぎじゃない?」

「もっと厳しくした方がいいよ」

「私なら引きずってでも連れて行く」

そういった言葉に、傷ついてきました。

でも、特別児童扶養手当が認定されたということは、息子の状態が「サポートが必要な状態」だと認められたということです。

結果として、少し気持ちが楽になった部分もありました。

妻が、言いました。

看護師ママ

「私たち、間違ってなかったんだよね」

精神科OTパパ

「うん。間違ってないよ」
「息子のために、できることをやってきた」
「それは、間違ってない」

妻も、少し涙を浮かべながら頷きました。

看護師ママ

「うん…」

我が家は利用して良かったと思った

特別児童扶養手当は、私は利用して良かったと感じています。

最初は、抵抗がありました。

「障がい」という言葉への戸惑いもありました。

でも、今は思います。

この制度は、困っている家族を支えるためにある。

僕たちは、困っていた。

だから、利用していい。

それは、恥ずかしいことじゃない。

息子のために、家族のために、使える制度を使うことは、一つの選択肢として検討しても良いと感じました。

もし、今この記事を読んでくださっている方の中で、経済的に困っている方がいたら。

特別児童扶養手当だけでなく、色々な支援制度があります。

自治体によっても、支援内容は違います。

役所や、担当医、支援センターなどに相談することで見えてくることもあるかもしれません。

利用できる制度は、利用していいと思います。

それは、決して恥ずかしいことではありません。

僕たちも、特別児童扶養手当に支えられて、少しずつ前に進むことができました。

【まとめ】特別児童扶養手当という支援が、僕たちを支えてくれた

人生に正解なんてない

経済的な不安が大きくなっていた頃、心療内科の先生が「特別児童扶養手当」という制度を教えてくれました。

「障がい」という言葉への抵抗感がありました。

でも、経済的な不安は現実にありました。

妻と話し合って、僕たちは申請を進めることを決めました。

約2ヶ月半後、認定通知が届きました。

複雑な気持ちでした。

息子が「障がいのある児童」として認められたということ。

嬉しさと、悲しさと、安堵と、罪悪感が入り混じっていました。

でも、受給が始まってから、妻の心の負担が少し減りました。

「息子の付き添いに専念できる」

手当は、僕たちにとって大きな助けになりました。

そして、それは息子の状態を社会が認めてくれたということでもありました。

それは、恥ずかしいことじゃない。

もし、経済的に困っている方がいたら、役所や、担当医、支援センターなどに相談することで見えてくることもあるかもしれません。

子どものために、家族のために、使える支援を使うことは、選択肢の一つであると思います。

※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。制度の対象や条件は個別に異なるため、詳細はお住まいの自治体等にご確認ください。

この記事を読んでくれた方に、是非読んで欲しい記事がコチラ

【次回予告】

小学1年の夏休み明けから始まった、息子の不登校。

発達障がい者支援センターに通い始めて。

心療内科に通い始めて。

特別児童扶養手当を受給するようになって。

僕たちは、色々な支援を受けながら、息子と一緒に歩んできました。

でも、すぐに状況が大きく変わることはありませんでした。

毎日、妻と一緒に学校に行く息子。

教室に入れたり、入れなかったり。

泣きながら過ごす日々が続きました。

別室登校。

会議室や校長室で校長・教頭と過ごす日々。

支援学級への転籍。

そしてほとんど普通級で過ごせるようになるまで。

小学1年から、小学5年まで。

5年間の不登校。

次回は、息子の5年間不登校の全記録について書きます。

▼次の記事
 息子の5年間不登校、全記録

▼前回の記事
 心療内科の先生が教えてくれた「焦らなくていい」という言葉

▼Xで繋がりませんか?
@精神科OTパパ|不登校5年の記録

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ブックマークして、また読みに来てください。

特別児童扶養手当の受給

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この記事を書いた人

精神科OTパパのアバター 精神科OTパパ 精神科デイケアセンター(センター長)

精神科作業療法士18年×不登校経験者の父。息子の5年間の不登校を、看護師の妻と乗り越えました。中学生になった息子は、現在生徒会に入り活躍中。専門家でも無力だった体験を赤裸々に。同じ悩みを持つ親御さんへ。

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