夏休みが終わり、2学期が始まりました。
僕たちは、少しだけ期待していました。
精神科OTパパ「学校が始まれば、また落ち着くかもしれない」
夏休みの児童クラブで、あれだけ辛い思いをした息子。


でも1学期は、学校は順調に通えていた。
だから2学期も大丈夫なんじゃないか。
そんな淡い期待でした。
でも、その期待は完全に裏切られました。
集団登校の集合場所で、息子はバイバイができなくなっていたんです。
みんなの前でも泣いて、親と離れられない。
途中まで一緒に歩いて、何とかバイバイできても、途中から泣きながら家に引き返してくる。
やがて息子は、「歩いて行く」ことを極端に嫌がるようになりました。
車で学校まで送る。
学校に着いても泣く。
先生が車まで迎えに来てくれる。
この光景が、毎日繰り返されるようになりました。
小1の秋。僕たちは、息子の不登校の入り口に立っていました。
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- 精神科病院で作業療法士18年目
- 現在、精神科デイケアセンター長
- 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
- 2学期が始まったが、集団登校の集合場所でバイバイができなくなった息子
- 途中まで一緒に歩いてバイバイする日々と、途中から引き返してくる息子
- 「歩いて行ったら?」と声をかけても家から出られず、車で送る毎日に
- 学校に着いても泣き、先生が車まで迎えに来てくれる朝
- 「親から離れる時の寂しさ」だと思っていたが、それは大きな勘違いだった
2学期が始まった。でも、期待は裏切られた
9月1日。2学期の始業式。
朝、息子を集団登校の集合場所まで連れて行きました。
春は、ここでバイバイができていました。
不安そうな顔をしながらも、「行ってきます」と言って、集団登校の列に加わっていた息子。
でも、この日は違いました。
集合場所に着くと、息子は僕の手をギュッと握りました。



「行きたくない…」
小さな声で、そうつぶやきました。



「大丈夫だよ。みんなも一緒だから」
僕が声をかけても、息子は首を横に振るだけ。
他の子どもたちが集まってきます。
上級生のお兄ちゃん、お姉ちゃんも。
「じゃあ、行こうか」
上級生の子が声をかけてくれました。
でも、息子は動きません。
僕の服をつかんで、離れようとしない。



「ほら、みんな待ってるよ」
僕が促すと、息子は泣き出してしまいました。
みんなの前で、大泣きする息子。
周りの親御さんたちの視線が、痛いほど感じられました。
「学校が始まれば大丈夫」という期待は、初日から裏切られました。
夏休みの児童クラブでの辛さが、そのまま学校にも持ち越されたんです。
途中まで一緒に歩いて、何とかバイバイ
「集合場所でバイバイができないなら、途中まで一緒に歩こう。」
僕と妻は、そう決めました。
朝、集団登校の時間に合わせて準備をする。
でも集合場所では、息子は泣いてバイバイができない。
だから、集団登校のルートを、僕が一緒に歩いていくことにしました。
息子は、僕の手を握りながら、集団登校の列の後ろを歩きます。
他の子たちは、友達と楽しそうに話しながら歩いている。
でも息子は、ずっと下を向いて、僕の手を離しません。
僕は、何ともいたたまれない気持ちになりました。
学校まで半分くらい来たところで、僕は立ち止まりました。



「ここでバイバイしようか。あとは一人で行けるよね」
息子は、不安そうな顔で僕を見上げます。



「大丈夫。あと少しだから」
僕が励ますと、息子は小さく頷きました。
そして、泣きながらも、「行ってきます」と言って、集団登校の列に向かって歩いていきました。
振り返って、何度も僕を見る息子。
僕は笑顔で手を振りました。
息子も、涙を拭いながら、小さく手を振り返してくれました。



何とかバイバイできた・・・
僕は、ホッと胸を撫で下ろしました。
でも、この方法も長くは続きませんでした。
途中から泣きながら引き返してくる息子


途中まで一緒に歩いて、何とかバイバイができる日が数日続きました。
でも、ある朝のこと。
息子を途中まで送り、家で仕事に行く準備をしていると、玄関のチャイムが鳴りました。
インターホンの画面には黄色い帽子の上の部分だけ映っています。
ドアを開けると、そこには泣きながら立っている息子がいました。



「どうしたの!?」
驚いて声をかけると、息子は何も言わず、僕に抱きついてきました。
途中でバイバイして、皆の列に加わったはず。
でも、不安になって、家に引き返してきたんです。



「怖かった…」
息子は、そう言いながら泣いていました。
この日から、いったんバイバイできても、途中から泣きながら家に帰ってくることが増えました。
朝、途中でバイバイする。 僕は仕事に向かう。
でも数分後、泣きながら家に帰ってくる息子。
妻が対応して、もう一度学校まで送る。



「もう歩いていくの嫌だ…」
息子は、そう言うようになりました。



「みんなと一緒なのに、不安なの?」
妻が聞くと、息子は頷きました。
春は、「小学生は歩いて学校に行く」という思いで頑張っていた息子。
でも、夏休みの児童クラブで心が折れてしまったんでしょう。
もう、その頑張りを続けることができなくなっていました。
車で学校まで送ることが当たり前になった
途中から引き返してくることが続いて、僕たちは決断しました。



「車で学校まで送ろう」
歩いて行くことが、息子にとって大きな負担になっている。
だったら、車で送った方がいい。
でも、心のどこかで抵抗がありました。
「小学生なのに、車で送るのか」
「みんな歩いて行ってるのに」
「これでいいのか」
そんな葛藤です。
車で送るようになってからも、毎朝僕たちは息子に声掛けを続けていました。



「歩いて行ったら?」



「みんな歩いていくのにおかしいよ」
その言葉を聞くたびに、息子の表情は曇りました。
でも僕たちは、そんな声かけを続けていました。
「普通」に戻ってほしい。
みんなと同じように、歩いて学校に行ってほしい。
そんな思いからでした。
毎朝、集団登校に間に合うように準備させていました。



「ほら、もうすぐ集合時間だよ!」



「急いで準備して!」
でも、時間になっても、息子は家から出られませんでした。
玄関で固まって、動けない。
「歩いていく」とは言いながらも、玄関から出られない。
そして、結局は車で送ることになる。
この繰り返しでした。



「どうして歩いて行けないの?」
僕がイライラしながらそう言うと、息子は泣き出しました。



「わかんない…」
息子自身も、理由がわからないまま、不安に押しつぶされていたんだと思います。
それから、歩いて行くことはなくなりました。
車で送り迎えすることが、当たり前になっていきました。
学校に着いても、車から降りられない


でも、車で送るようになっても、問題は解決しませんでした。
学校に着いても、息子は車から降りられなかったんです。
駐車場に車を停める。



「着いたよ。降りよう」
僕や妻が声をかけても、息子はシートベルトを外そうとしません。



「行きたくない」
小さな声で、そう言います。



「でも、もう学校に着いたよ。先生も待ってるよ」
何度声をかけても、息子は首を横に振るだけ。
時間だけが過ぎていきます。
始業時間が迫ってくると、先生が車まで迎えに来てくれました。
「おはよう。今日も頑張ろうね」
先生は優しく笑顔で、車のドアを開けてくれます。
でも息子は、座席にしがみついて、降りようとしません。
「大丈夫だよ。一緒に行こう」
先生が手を差し伸べてくれます。
最後には、半ば強引に、先生が息子を車から降ろして、教室に連れて行ってくれました。
泣きながら、振り返って僕を見る息子。



「パパー!!」
助けを求める声が、車の中まで聞こえてきました。
先生に手を引かれて、校舎の中に消えていく息子の背中。
僕は、車の中で深いため息をつきました。
後で先生から聞いた話では、「1時間目が終わる頃には泣き止んで、友達とも遊んでいますよ」とのことでした。
その言葉に、僕たちは安心していました。



やっぱり、親から離れる時の寂しさなんだ
学校では大丈夫なんだから、朝だけの問題なんだ
そう信じていました。
でも、それは大きな勘違いでした。
「親から離れる時の寂しさ」だと思っていた


毎朝、車から降りる時には大泣きする息子。
でも、先生からは「1時間目が終わる頃には泣き止んで、友達とも遊んでいます」と報告を受けていました。
だから僕たちは、こう考えていました。
「朝の別れ際が辛いだけなんだ」
「親から離れる時の寂しさが強いんだろう」
「学校では問題なく過ごせているんだから、大丈夫」
保育園の時も同じでした。
朝は泣いて先生に引き渡していたけど、園では楽しく過ごしていた。
だから「分離不安」だと思っていました。
小学校でも、同じパターンなんだ。
そう解釈していたんです。
精神科で働く作業療法士として、僕は「分離不安」について知識がありました。
もちろん、一定の年齢以上になれば専門的なサポートが必要になる場合があることも。
しかし、自分の息子には「時間が経てば、自然と改善されていくだろう。」「このままでも、そのうち慣れる」と思っていました。
でも、それは大きな間違いでした。
息子は、学校で「頑張って」いたんです。
朝、あれだけ泣いて抵抗していたのに、学校に入ったら「みんなと同じようにしなきゃ」と自分に言い聞かせて、必死に過ごしていた。
友達と遊ぶ。授業を受ける。給食を食べる。
すべてを、必死の頑張りで乗り越えていました。
その頑張りが、どれだけ息子の心を削っていたか。
当時の僕たちは、まったく気づいていませんでした。
「学校では大丈夫」という言葉に安心して、「朝だけの問題」だと片付けていました。
でも本当は、息子は毎日、心のエネルギーを使い果たすほど頑張っていたんです。
まとめ:秋、息子は不登校の入り口に立っていた
小学1年生の秋。
春に「順調」に見えた息子の学校生活は、完全に崩れていました。
集団登校の集合場所でバイバイができない。
途中まで一緒に歩いても、引き返してくる。
車で送っても、車から降りられない。
先生が迎えに来て、半ば強引に教室へ。
毎朝、この繰り返しでした。
僕たちは、「歩いて行ったら?」「みんな歩いていくのにおかしいよ」と言い続けていました。
「普通」に戻ってほしい。
その思いからでした。
でも、その言葉が、息子をさらに追い詰めていたことに、当時は気づいていませんでした。
「学校では友達と遊べている」
「1時間目が終わる頃には泣き止んでいる」
先生からのそんな報告に安心して、「朝だけの問題」だと思い込んでいました。
でも今思えば、あれは息子の限界が近づいているサインだったように思います。
この記事を読んでくださっている方の中には、お子さんが同じように「朝だけ」泣いている方もいるかもしれません。
でも、もし今、お子さんが毎朝泣いて登校しているなら。
お子さんは、学校で必死に頑張っているのかもしれません。
その頑張りが、心を削っているのかもしれません。
僕は、その限界に気づけませんでした。
そしてこの後、息子はついに玄関から一歩も出られなくなります。
小学1年生の秋。
僕たちは、息子の本格的な不登校の入り口に立っていました。
※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。
【次回予告】
車で学校まで送る日々が続いていました。
次回は、この時期をより深く振り返ります。
毎朝「歩いて行ったら?」と言い続けていた僕。
精神科デイケアのセンター長なのに、わが子の前では「ただの焦る親」だった自分。
学校に着くと泣く息子を先生に引き渡し、「1時間目が終わる頃には泣き止んでいます」という報告に安堵していた日々。
あの時、僕は何を考えていたのか。
なぜ、専門知識が全く役に立たなかったのか。
「歩いて行ったら?」という言葉が、息子をどれだけ追い詰めていたのか。
次の記事は、
車送迎の日々を振り返りながら、専門職の父親が陥った罠について書きます。
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