教室に入るまで妻が2時間付き添い、息子と一緒に学校で過ごす日々

付き添い登校のはじまり。妻と息子、学校で共に過ごす日々

壁に物を投げつけてしまった日。

あの日から、僕たちの対応は変わりました。

妻は、息子と一緒に学校に行く決断をしました。

車で学校まで送る。

そこから、駐車場で息子と向き合う。

一歩進んでは戻る。

また一歩進んでは立ち止まる。

2時間かけて、ようやく教室にたどり着く。

そして、妻は教室に入りました。

息子と一緒に、授業を受ける。

息子と一緒に、給食を食べる。

息子と一緒に、掃除をする。

その生活が、始まりました。

2週間後、妻は息子のクラスメイトから「先生」と呼ばれるまでになりました。

妻は何度も涙を流していました。

看護師ママ

「何でこんなことになったんだろう」

教室の隅で、何度もそう思ったそうです。

この記事では、妻が息子と一緒に学校で過ごした日々について書きます。

精神科OTパパについて
精神科OTパパの人のアイコン
  • 精神科病院で作業療法士18年目
  • 現在、精神科デイケアセンター長
  • 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
この記事の要約
  • 壁に物を投げつけた日から始まった、妻の学校付き添い生活
  • 駐車場から教室まで2時間かけて進む毎日
  • 教室で一緒に授業、給食、掃除まで—妻が「先生」と呼ばれるまで
  • 学校を休んだ日の息子の罪悪感と無気力な様子
  • 「何でこんなことになったんだろう」と涙を流す妻の葛藤
目次

妻が、息子と一緒に学校に行く決断をした

壁に物を投げつけてしまった日。

あの日、僕は最低の父親でした。

息子は、「ごめんね、ごめんね」と謝り続けました。

その日の出来事についての記事はこちら

その姿を見て、妻も僕も思いました。

「このままではダメだ」

何かを変えなければならない。

でも、何をどう変えればいいのかわからない。

妻と話し合いました。

精神科OTパパ

「学校を休ませた方がいいんじゃないか」

僕はそう言いました。

でも、妻は首を横に振りました。

看護師ママ

「本人は、学校に行きたいって言ってる」
「休んだ日の方が、辛そうなんだよ」

確かに、学校を休んだ日の息子は、無気力でした。

学校が始まる時間から終わる時間まで、ずっと落ち込んでいました。

小学息子

「みんなが学校に行ってる時に、自分は休んでる」

その罪悪感が、息子を苦しめていました。

だから、妻は決断しました。

看護師ママ

「私が、一緒に学校に行く」

妻は看護師として、正社員で働いていました。

でも、この状況では続けられません。

妻は、職場に相談しました。

そして、正社員からパートに変更してもらいました。

9時から13時の勤務予定。

でも、その予定通りに働けることは、ほとんどありませんでした。

妻の職場は、理解してくれました。

「お子さんのこと、大事にしてあげて」

そう言ってくれたそうです。

妻の職場の理解の深さに、僕たちは本当に感謝しています。

こうして、妻が息子と一緒に学校に行く日々が始まりました。

駐車場から教室まで、2時間かけて進む日々

母親と登校する小学生

朝、妻と息子は車で学校に向かいます。

学校の駐車場に到着。

でも、ここからが大変でした。

息子は、車から降りることができません。

妻は、ゆっくりと声をかけます。

看護師ママ

「大丈夫だよ。ゆっくりでいいから」

10分20分と時間が過ぎていきます。

ようやく、車から降りられました。

でも、ここからが本当の始まりでした。

駐車場から校舎まで。

大人なら、1分もかからない距離。

でも、息子は進めませんでした。

一歩進む。

立ち止まる。

また一歩進む。

今度は、後ろに戻る。

小学息子

「怖い…」

息子は、そう言いました。

看護師ママ

「何が怖いの?」

妻が聞いても、息子は答えられません。

小学息子

「わかんない」

ただ、漠然とした恐怖があったようです。

妻は、息子の手を握りました。

看護師ママ

「大丈夫。お母さんも一緒だから」

そう言いながら、一歩ずつ、ゆっくりと進みます。

校舎の入り口にたどり着くまで、30分。

そこから、教室まで。

また同じことの繰り返しでした。

廊下を進んでは、戻る。

教室の前まで行っても、中に入れない。

教室のドアの前で立ち止まる息子。

中を覗いては、また廊下に戻る。

その繰り返し。

看護師ママ

「入ろうか」

妻が声をかけても、息子は首を横に振ります。

小学息子

「もうちょっと待って…」

そう言って、また廊下を歩く。

教室の前と廊下を、何度も何度も往復しました。

妻は、何度も何度も、同じ道を往復しました。

看護師ママ

「焦らなくていいよ」
「ゆっくりでいいから」

そう声をかけ続けました。

駐車場から教室に入るまで。

毎日、2時間かかりました。

その間、妻はずっと息子と一緒に、校舎と駐車場、教室の前と廊下を往復していました。

先生たちも、見守ってくれていました。

でも、手を出すことはしませんでした。

妻と息子のペースを、尊重してくれていたんです。

2時間かけて、ようやく教室に入る。

そこから、妻と息子の学校生活が始まります。

教室で一緒に授業、給食、掃除まで—妻が過ごした学校生活

2時間かけて、ようやく教室に入った息子。

妻も、一緒に教室に入ります。

教室の後ろに、妻の椅子が用意されています。

授業が始まります。

息子は、自分の席に座ります。

妻は、教室の後ろで見守ります。

でも、授業中、息子は何度も振り返りました。

妻の姿を確認する。

「お母さんがいる」

それを確認して、また前を向く。

妻がいなければ、息子は教室にいられませんでした。

<休み時間>

息子は、友達と遊ぶこともありました。

でも、時々、妻のところに戻ってきます。

小学息子

「お母さん、まだいる?」

看護師ママ

「うん、いるよ」

その会話を繰り返しました。

<給食の時間>

妻も、教室で一緒にお昼ご飯を食べます。

息子の隣に座って、一緒に食べる。

クラスメイトたちは、最初は不思議そうに見ていました。

でも、すぐに慣れてきたようでした。

「〇〇くんのお母さん、今日も来てるね」

「うん、毎日来てるよ」

そんな会話が、聞こえてきました。

<掃除の時間>

妻も、一緒に掃除をしました。

教室の床を拭いて、机を運んで。

クラスメイトたちと、一緒に掃除をする妻。

下校の時間になると、妻と息子は一緒に車で帰りました。

この生活が、毎日続きました。

2週間ほど経った頃。

クラスメイトの一人が、妻に声をかけました。

「先生、これどうすればいいですか?」

妻は、戸惑いました。

看護師ママ

「私は先生じゃないよ」

でも、子どもたちにとって、毎日教室にいる大人は「先生」だったんです。

それから、何人もの子どもたちが、妻を「先生」と呼ぶようになりました。

妻は、苦笑いしながら、それに応えていました。

毎日、教室で息子と過ごす。

授業も、給食も、掃除も、一緒に。

それが、妻の日常になっていました。

「何でこんなことになったんだろう」—教室で涙を流す妻

落ち込む母親

毎日、教室で息子と過ごす妻。

でも、その日々は、決して楽なものではありませんでした。

教室の後ろに座って、息子を見守る。

一見、穏やかに見えるかもしれません。

でも、妻の心の中は、違いました。

学校が用意してくれた空き部屋。

息子が教室に入れない時は、その部屋で待機していました。

その部屋で、妻は何度も泣いたそうです。

看護師ママ

「何でこんなことになったんだろう」

そう思いながら、涙を流しました。

教室にいる時も、同じでした。

授業中、教室の隅に座りながら、涙がこぼれそうになることがありました。

でも、息子の前では泣けません。

必死に堪えていました。

この状況は、妻からすれば「特別」でした。

他の保護者は、教室にいません。

周りには、当たり前に学校に来て、授業を受けて、楽しそうに学校生活を送っている子どもたち。

でも、息子は一人、教室になかなか入れない。

別室まで用意され、毎日苦しみながら学校生活を送っている。

その現実を、妻は毎日、目の当たりにしていました。

看護師ママ

「なんで、うちの子だけ」
「なんで、こんなに苦しまなきゃいけないの」

そんな思いが、妻を追い詰めていきました。

僕は、仕事から帰ると、妻に聞きました。

精神科OTパパ

「今日はどうだった?」

妻は疲弊していました。

看護師ママ

「今日もなかなか教室に入れなくて、昼休みから何とか入れたよ…」

とその日の様子を、毎日報告してくれました。

そして、毎晩、夫婦で話し合いました。

「今後どうすれば良いのか」

「今の関わり方は合っているのか」

答えの出ない問いを、毎日繰り返していました。

妻は、何度も泣いていました。

看護師ママ

「いつまで続くんだろう」
「この先、どうなるんだろう」

一向に光が見えない未来に、絶望さえ感じていました。

僕は、仕事に行っている間、何もできませんでした。

妻が、一人で全てを背負っていました。

学校を休んだ日の息子の罪悪感

妻と息子は、毎日学校に行こうとしていました。

でも、どうしても行けない日もありました。

玄関から出られない。

車から降りられない。

そんな日は、学校を休むしかありませんでした。

僕たちは、息子に言いました。

精神科OTパパ

「無理しなくていいよ」

看護師ママ

「今日は休もう」

でも、学校を休んだ日の息子は、全く元気がありませんでした。

学校が始まる時間になると、息子の表情が曇ります。

小学息子

「今、みんな学校に行ってるんだ」

そう思っているのが、わかりました。

リビングでテレビを見ていても、上の空。

好きなゲームをしても、楽しそうじゃない。

ずっと、落ち込んでいました。

学校が終わる時間まで、その状態が続きました。

息子は、何度も言いました。

小学息子

「ごめんね…」

小学息子

「お母さん、仕事行けなくてごめんね…」

妻は、その度に言いました。

看護師ママ

「いいんだよ。気にしないで」

でも、息子の罪悪感は消えませんでした。

「親に迷惑をかけている」

「当たり前のことができていない」

そんな思いが、息子を苦しめていました。

休むことさえも、息子にとっては苦痛だったんです。

みんなが学校に行っている時に、自分だけ家にいる。

その状況が、息子を追い詰めていました。

だから、息子は無理してでも学校に行こうとしました。

小学息子

「学校に行かなきゃ」

その責任感が、息子を動かしていました。

でも、体は拒否していました。

心も、悲鳴を上げていました。

この頃、息子は習い事に行く時も泣くようになっていました。

スイミングも、学習塾も。

以前は楽しく通っていた習い事が、負担になっていました。

僕たちは、決断しました。

精神科OTパパ

「習い事は、全部やめよう!」

息子の心理的な負担を、少しでも減らしたかったからです。

児童クラブにも、行けなくなっていました。

夏休みの児童クラブで、あれだけ辛い思いをした息子。

児童クラブも、それ以降通っていませんでした。

夏休みの児童クラブの様子はこちら

学校に行くことで精一杯。

他のことは、何もできない状態でした。

休んでも辛い。

行っても辛い。

息子には、逃げ場がありませんでした。

まとめ:妻が背負っていたもの

毎朝、車で学校まで息子を送る。

駐車場から教室まで、2時間かけて一緒に歩く。

教室で、一緒に授業を受ける。

一緒に給食を食べる。

一緒に掃除をする。

そして、一緒に車で帰る。

この生活が、毎日続きました。

妻は、正社員からパートに変更しました。

でも、予定通りに働けることは、ほとんどありませんでした。

息子が学校に行けない日は、仕事も休む。

息子が教室に入れない時は、別室で息子を励まし関わり続ける。

妻の職場は、理解してくれました。

でも、妻の心の負担は、どんどん重くなっていきました。

教室の隅で、何度も涙を流した妻。

空き部屋で、一人で泣いた妻。

周りの子どもたちが、当たり前に学校生活を送っている中で、息子だけが苦しんでいる現実を、毎日目の当たりにしていました。

看護師ママ

「なんで、うちの子だけ」
「いつまで続くんだろう」

そんな思いを抱えながら、妻は毎日学校に通い続けました。

家に帰ると、僕と話し合いました。

「今後どうすれば良いのか」

「今の関わり方は合っているのか」

答えの出ない問いを、毎晩繰り返していました。

妻は、一人で全てを背負っていました。

僕は、仕事に行っている間、何もできませんでした。

この記事を読んでくださっている方の中には、今まさに同じ状況にいる方もいるかもしれません。

お子さんと一緒に学校に通っている方。

毎日、教室で付き添っている方。

その辛さは、経験した人にしかわかりません。

でも、あなたは一人じゃありません。

僕たちも、同じ経験をしました。

妻も、毎日泣いていました。

でも、それでも続けました。

息子のために。

そして、この後、僕たちはさらに多くの壁にぶつかります。

スクールカウンセラーに相談したこと。

発達障がい者支援センターに通い始めたこと。

心療内科を受診したこと。

様々な支援を受けながら、少しずつ前に進んでいきます。

でも、この時期は、まだ光が見えていませんでした。

※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。

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【次回予告】

妻が毎日学校に付き添う日々。

正社員からパートに変更したものの、予定通りに働けることはほとんどありませんでした。

息子が学校に行けない日は、仕事を休む。

息子が教室に入れない日は、別室で付き添い続ける。

そして、ついに妻の有給が底をつきました。

それからは、欠勤の日々が始まりました。

小学1年の冬。

家の中は、どんよりとした雰囲気に包まれていました。

毎朝、起きるのが憂鬱でした。

息子も、僕たちも。

僕は毎日、起きると胃薬を飲んでいました。

妻は、息子が寝た後、一人で泣いていました。

看護師ママ

「どうしたらいいんだろう」

その言葉を、何度も聞きました。

次回は、有給が底をつき、欠勤が始まった小1の冬について書きます。

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付き添い登校のはじまり。妻と息子、学校で共に過ごす日々

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この記事を書いた人

精神科OTパパのアバター 精神科OTパパ 精神科デイケアセンター(センター長)

精神科作業療法士18年×不登校経験者の父。息子の5年間の不登校を、看護師の妻と乗り越えました。中学生になった息子は、現在生徒会に入り活躍中。専門家でも無力だった体験を赤裸々に。同じ悩みを持つ親御さんへ。

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