支援学級に行きたいと言った息子、でも通えなかった理由

「支援学級に行きたい」でも通えなかった理由

小学1年の間、息子は毎日泣きながら学校に行っていました。

妻が一緒に教室に入り、授業を受け、給食を食べ、掃除までして。

そんな日々が続く中、小学2年への進級が近づいてきました。

春休みのある日、息子が言いました。

小学息子

「支援学級に行ってみたい」

初めて、息子の口から「行きたい場所」が出ました。

僕たちは希望を感じました。

息子が自分で見つけた「安心できる場所」

そこに行かせてあげたい。

でも、その希望は、あっけなく打ち砕かれることになりました。

この記事では、息子が初めて「支援学級に行きたい」と言ってくれたこと、そして、通えなかった理由について書きます。

精神科OTパパについて
精神科OTパパの人のアイコン
  • 精神科病院で作業療法士19年目
  • 現在、精神科デイケアセンター長
  • 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
この記事の要約
  • 小2の春、息子が自発的に「支援学級に行きたい」と言った背景
  • 学校側が求めた「医師の意見書や診断」
  • 法令と現場の運用のギャップ—実際の入級のハードル
  • 希望を持った後に突き落とされた親子の心情
  • 「助けて」と言っているのに助けてもらえない苦しさ
目次

息子が初めて「支援学級に行きたい」と言った日

小学2年への進級が近づいた春休み。

僕たちは学校と、今後の対応について何度も話し合いをしていました。

小学1年の間、息子は毎日泣きながら学校に行っていました。

妻が一緒に教室に入り、授業を受け、給食を食べ、掃除までして。

妻は息子のクラスメイトから「先生」と呼ばれるまでになっていました。

2年生になっても、この状況が続くのだろうか。

僕たちは、そう思っていました。

そんなある日、息子が言いました。

小学息子

「支援学級に行ってみたい」

その言葉を聞いた時、僕は驚きました。

息子から、自発的に「行きたい場所」を言ってくれたのは、初めてだったからです。

小学1年の間、息子はずっと「学校に行きたくない」と泣いていました。

でも、「学校を休む?」と聞くと、首を横に振って「行く」と言っていました。

「みんなが学校に行っている時に僕だけ家にいるのが辛い」と言っていました。

だから、泣きながらでも学校に行く。

教室に入るのが怖いけど、学校には行く。

その矛盾の中で、息子は苦しんでいました。

でも今、息子は「支援学級に行ってみたい」と言った。

「行きたくない」ではなく、「行きたい」。

その言葉に、僕は希望を感じました。

妻も、同じ気持ちだったと思います。

小学息子

「支援学級なら、安心できるかもしれない」

息子は、そう言っていました。

支援学級は、息子の教室までの移動途中にありました。

時々、廊下から中の様子が見えることがありました。

少人数で、先生がゆっくり話しかけている様子が見えました。

息子は、その雰囲気に惹かれていたのかもしれません。

小学息子

「あそこなら、行ける気がする」

息子の言葉を聞いて、僕たちは学校側と協議を始めました。

息子が自分で「行きたい場所」を見つけた。

それを、何とか実現させてあげたい。

そう思いました。

学校側が求めた「医師の意見」

診断書

僕たちは、すぐに学校側に相談しました。

担任の先生、校長先生、教頭先生と話し合いの場が設けられました。

精神科OTパパ

「息子が、支援学級に行きたいと言っています」

僕たちは、息子の気持ちを伝えました。

先生方は、真剣に聞いてくれました。

そして、検討すると言ってくれました。

僕たちは、期待しました。

息子が自分で「行きたい」と言った場所。

精神科OTパパ

きっと、そこに行けるはずだ

でも、数日後。

学校側から連絡がありました。

「支援学級を利用するにあたり、適当な診断名がついていないため、現時点では難しいです」

その言葉を聞いた時、僕は頭が真っ白になりました。

診断名?

息子は、心療内科に通っていました。

小学1年の冬から、月に1回通っていました。

担当医の先生は、息子の話を聞いてくれて、僕たち親の相談にも乗ってくれていました。

でも、診断名はついていませんでした。

先生は、こう言っていました。

「今は、診断名をつけることよりも、この子が安心して過ごせることが大切です」

「焦らなくていい。この子のペースを大切に」

その言葉を、僕たちは信じていました。

診断名がなくても、息子は困っていました

毎日泣きながら学校に行って、教室に入れなくて。

でも、支援学級に行くためには、診断名が必要だと言われました。

僕たちは、混乱しました。

息子を助けるために必要なのは、診断名なのか。

学校側は、こう説明してくれました。

「支援学級を利用するには、教育委員会との協議が必要です。その際に、医師の診断書や意見書があると、スムーズに進みます」

「現時点では、そういった書類がないので、判断が難しいです」

僕たちは、心療内科の先生に相談しました。

看護師ママ

「支援学級に行くために、診断書を書いていただけませんか」

先生は、困った顔をしていました。

「お気持ちはわかります。でも、今の段階で診断名をつけることが、本当にお子さんのためになるのか…」

「もう少し様子を見させてください」

先生の言葉も、わかりました。

でも、息子は今、困っているのです。

支援学級に行きたいと言っているのです。

診断名がないから、その希望が叶わない。

僕たちは、どうしたらいいのかわかりませんでした。

希望から落胆へ—親子で味わった挫折感

落胆した男性

学校側から「診断名がないため難しい」と言われたこと。

それを、息子にどう伝えればいいのか。

僕たちは、家で何度も話し合いました。

看護師ママ

「どう言おうか…」

妻が、困った顔で言いました。

僕も、答えが出ませんでした。

息子は、「支援学級に行きたい」と言ってくれました。

自分から「行きたい場所」を見つけてくれました。

それなのに、「行けない」と伝えなければならない。

その夜、僕たちは息子と話をしました。

精神科OTパパ

「支援学級のこと、学校の先生と相談したんだけど…」

息子は、僕の顔をじっと見ていました。

期待と不安が入り混じった表情でした。

精神科OTパパ

「今は、まだ難しいって言われたんだ」

その言葉を聞いた瞬間、息子の表情が変わりました。

小学息子

「…やっぱりダメなんだ」

息子が、小さな声で言いました。

小学息子

「僕、やっぱりダメなんだ…」

その言葉を聞いて、胸が締め付けられました。

息子は、泣いていませんでした。

でも、その表情は、泣いている時よりも辛そうでした。

諦めたような、でも納得できないような。そんな表情でした。

妻も、隣で黙っていました。

何も言えませんでした。

精神科OTパパ

「ごめんね」

僕は、そう言うしかありませんでした。

でも、息子に謝るのは違う気がしました。

息子は何も悪くないのに。

看護師ママ

「もう少し、先生と相談してみるから」

妻が、そう言いました。

息子は、小さく頷きました。

でも、その目には希望の光はありませんでした。

僕たちは、とてもがっかりしました。

息子が、初めて自分から「行きたい」と言ってくれた場所。

それなのに、行けない。

診断名がないから。

その理由が、僕たちには納得できませんでした。

息子は困っています。

毎日泣きながら学校に行っています。

教室に入れません。

それなのに、「診断名がない」という理由で、支援を受けられない。

おかしいと思いました。

でも、学校側の説明も理解はできました。

教育委員会との協議があって、手続きがあって。

僕たちにできることは、息子の気持ちを支えることだけでした。

精神科OTパパ

「大丈夫だよ」

看護師ママ

「一緒に考えよう」

そう言いながら、僕たち自身も、どうしたらいいのかわかりませんでした。

その後、息子は小学2年を迎えました。

支援学級には行けず、相変わらず妻と一緒に普通級の教室に通う日々が続きました。

息子は、時々支援学級の前を通る時、中を覗いていました。

小学息子

「あそこに行きたかったな…」

そう呟くこともありました。

その言葉を聞くたびに、僕の胸が痛みました。

希望を持たせてしまったこと。

でも、それを叶えてあげられなかったこと。

親として、とても辛かったです。

法令と現場のギャップ—支援を受けるためのハードル

後になって知ったことですが、実は法令上、診断名がなくても特別支援学級に入ることは可能でした。

文部科学省の規定では、「その者の障害の状態、その者の教育上必要な支援の内容、地域における教育の体制の整備の状況、その他の事情を勘案して、特別支援学級において教育を受けることが適当であると認める者」とされています。

つまり、医学的な診断がなくても、子どもの状態や必要な支援を総合的に判断して、支援学級での教育が適切だと認められれば、入級できるのです。
(ただし地域や教育委員会の判断によって運用は異なります)

でも、現場では違いました。

学校側は、「診断名がないため難しい」と言いました。

教育委員会との協議には、医師の診断書や意見書が必要だと。

法令と、現場の運用。

そこには、大きなギャップがありました。

なぜ、このようなギャップが生まれるのか。

おそらく、学校側も教育委員会も、慎重に判断しようとしていたのだと思います。

本当に支援学級が必要なのか。

普通級で対応できる可能性はないのか。

そういったことを、しっかり見極めようとしていたのだと思います。

でも、もう一つ、現実的な問題があったのではないかと、今になって思います。

それは、支援学級への入級希望者の増加です。

近年、特別支援教育への理解が進み、支援学級を希望する保護者が増えています。

それ自体は、良いことだと思います。

でも、それに対応する教室の数や教師の人数が、追いついていないのではないでしょうか。

もし、診断名がなくても希望者全員を受け入れたら、支援学級がパンクしてしまう。

そういう懸念が、学校側や教育委員会にはあったのかもしれません。

結果的に、診断名や医師の意見書が判断材料として重視されていた印象を受けました。

そう考えると、学校側の対応も、理解できる部分があります。

限られたリソースの中で、本当に支援が必要な子どもを優先しなければならない。

その判断基準として、医師の診断を求めた。

でも、その「慎重さ」が、困っている子どもや家族にとっては、大きな壁になっていました。

息子は、困っていました。

毎日泣きながら学校に行って。教室に入れなくて。

そして、「支援学級に行きたい」と自分から言いました。

それなのに、「診断名がない」という理由で、その希望が叶わない。

診断名は、支援を受けるための「入口」になっていました。

診断名がなければ、困っていても、支援を受けられない。

そういう現実がありました。

息子のように、診断名はついていないけれど、明らかに困っている子どもは、たくさんいると思います。

グレーゾーンと呼ばれる子どもたち。

診断基準を満たさないけれど、学校生活に困難を抱えている子どもたち。

そういう子どもたちは、どこで支援を受けられるのでしょうか。

僕たちの経験から言えることは、必要な支援にすぐに繋がれないもどかしさ。

息子は、「支援学級に行きたい」と言いました。

それは、「助けて」というメッセージだったと思います。

でも、その声は、届きませんでした。

診断名という壁に、阻まれてしまいました。

もちろん、診断名が必要な場合もあると思います。

適切な支援を受けるために、専門家による診断が重要な場合もあるでしょう。

でも、診断名がないことが、支援を受けられない理由になってしまうのは、やはりおかしいと思いました。

子どもが困っている。

親も困っている。

そして、子ども自身が「ここに行きたい」と言っている。

それなのに、行けない。

その現実に、僕たちは直面しました。

【まとめ】「助けて」と言っているのに—支援が届かない苦しさ

小学2年の春。

息子が初めて自分から「行きたい場所」を言ってくれました。

小学息子

「支援学級に行ってみたい」

その言葉に、僕たちは希望を感じました。

息子が、自分で安心できる場所を見つけた。

それを、何とか実現させてあげたい。

そう思いました。

でも、その希望は叶いませんでした。

「診断名がないため、現時点では難しい」

学校側から、そう言われました。

法令上は、診断名がなくても支援学級に入ることは可能なようです。

でも、現場では違いました。

教育委員会との協議には、医師の診断書や意見書が必要だと言われました。

その背景には、支援学級への入級希望者の増加と、それに対応する教室や教師の不足という、現実的な問題もあったのかもしれません。

限られたリソースの中で、本当に支援が必要な子どもを優先しなければならない。

学校側の事情も、理解はできます。

でも、息子は困っていました。

毎日泣きながら学校に行って。

教室に入れなくて。

そして、自分から「支援学級に行きたい」と言ったのに。

その声は、届きませんでした。

小学息子

「やっぱりダメなんだ」

息子が言った、その言葉。

諦めたような、でも納得できないような、その表情。

今でも、忘れられません。

必要な支援にすぐに繋がれないもどかしさ。

その苦しさを、僕たちは味わいました。

息子は「行きたい場所」を見つけていたのに。

でも、制度の壁で、そこに行けなかった。

僕たちは、息子に「ごめんね」と言うしかありませんでした。

でも、息子は何も悪くないのに。

その後、息子は小学2年を迎えました。

支援学級には行けず、相変わらず妻と一緒に普通級の教室に通う日々が続きました。

息子は、時々支援学級の前を通る時、中を覗いていました。

小学息子

「あそこに行きたかったな…」

その言葉を聞くたびに、胸が痛みました。

でも、僕たちは諦めませんでした。

息子の「行きたい」という気持ちを、忘れませんでした。

心療内科の先生に相談し、学校側との話し合いを続けました。

そして、小学4年になって、ようやく支援学級に入ることができました。

心療内科の先生が意見書を書いてくれて、何度も学校側と協議を重ねて。

息子が「行きたい」と言ってから、2年かかりました。

でも、諦めずに歩み続けてよかったと思っています。

もし、今この記事を読んでくださっている方の中で、同じような状況にいる方がいたら。

一度断られても、通うことが出来るようになるケースもあります。

お子さんの「助けて」という声を、大切にしてください。

専門家の力を借りながら、学校と話し合いを続けてください。

お子さんが「行きたい場所」を見つけたなら、その気持ちを支え続けてください。

僕たちも、息子と一緒に歩み続けました。

そして、その先に、道は開けていきました。

※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。お子さんの状況に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、医療機関など)にご相談ください。

【次回予告】

支援学級に行けなかった息子。

小学2年の春、僕たちは学校側と話し合いを続けました。

「妻と一緒ではない形で、息子が教室に入れる方法はないか」

そう相談しました。

そして、先生が一つの試みを提案してくれました。

「廊下に机を出して、そこで授業を受けてみてはどうでしょうか」

教室の前で足が止まってしまう息子。

教室には入れないけれど、教室の近くにはいられる。

先生は、そう考えてくれたのだと思います。

でも、その試みは、息子にとって辛いものになりました。

次回は、「教室の前で足が止まる息子:廊下に机を出した先生の試み」について書きます。

▼次の記事
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「支援学級に行きたい」でも通えなかった理由

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この記事を書いた人

精神科OTパパのアバター 精神科OTパパ 精神科デイケアセンター(センター長)

精神科作業療法士18年×不登校経験者の父。息子の5年間の不登校を、看護師の妻と乗り越えました。中学生になった息子は、現在生徒会に入り活躍中。専門家でも無力だった体験を赤裸々に。同じ悩みを持つ親御さんへ。

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