妻と僕が5年間、毎晩話し合ったこと

5年間毎晩話し合ったこと

息子が不登校になってから、妻と僕は毎晩のように話し合いました。

リビングで、寝室で、時には車の中で。

息子が寝た後、僕たちは話し合いました。

「どうすればいいんだろう」

「このままでいいのか」

「私たちの対応は間違っていないか」

答えの出ない問いを、何度も何度も繰り返しました。

意見が対立して、激しく喧嘩することもありました。

お互いを責め合い、泣きながら話し合った夜もたくさんありました。

支援学級に通えるようになり、息子に自分の居場所ができてから、僕たちも方向性が定まり、深刻に話し合うことは減っていきました。

でも、あの話し合いがあったから、僕たちは家族として前に進めたと思います。

この記事は、僕たち夫婦の対話の記録です。

精神科OTパパについて
精神科OTパパの人のアイコン
  • 精神科病院で作業療法士18年目
  • 現在、精神科デイケアセンター長
  • 息子(長男)の5年間の不登校(小1~小5)で、親である僕と妻が”どのような悩みを抱き”、”対立し”、”息子にヒドイことをしてきたか”その経過を発信
この記事でわかること
  • 夫婦の話し合いが始まった経緯
  • 激しく対立した「背中を押す」vs「休ませる」という意見
  • 話し合いの中で出た、お互いの本音
  • お互いを責め合った日々と、その苦しさ
  • 少しずつ分かり合えた転換点
  • 今、妻に伝えたいこと
目次

夫婦の話し合いが始まった日

小1の秋、息子が学校に行けなくなった日。
その夜から、僕たち夫婦の話し合いが始まりました。

理由探しと方向性

「なんで行けなくなったんだろう」

「どうすればいいんだろう」

「どうやって対応しようか?」

突然学校へ行けなくなった息子。

なぜそうなってしまったのか。

これからどのように対応すれば良いのか。

真っ暗なトンネルの中で、夫婦で悩み苦しんでいました。

方向性を決めてからは、情報交換だった

「今日、学校でどうだった?」

「先生は何て言ってた?」

最初は、その日の出来事を共有する程度でした。

妻は毎日、息子と一緒に学校に行き、教室で付き添っていました。

僕は夜のフォローしかできませんでした。

だから、妻から息子の様子を聞くことが、僕にとって大切な時間でした。

徐々に、深刻な話し合いになっていった

でも、日が経つにつれて、話し合いの内容は変わっていきました。

「このままでいいのか」

「私たちの対応は正しいのか」

「この先、どうなるんだろう」

答えの出ない問いばかりでした。

毎晩、話し合うようになった

息子が寝た後、僕たちはリビングで話し合いました。

時には深夜2時、3時まで。

翌日、妻は息子と学校に行き、僕は仕事に行く。

睡眠時間を削りながらも、話し合わずにはいられませんでした。

話し合わないと、不安で眠れなかった

話し合っても答えは出ませんでした。

でも、話し合わないと、不安で眠れませんでした。

「このままで本当にいいのか」

その不安を共有することが、僕たちには必要だったんです。

激しく対立した意見「背中を押す」vs「休ませる」

夫婦の言い争い

夫婦の話し合いの中で、最も激しく対立したのがこの問題でした。
息子にどう関わるべきか。

妻の考え:「背中を押してあげるべき」

妻は言いました。

看護師ママ

「息子は泣きながらも、学校に行こうとしている」

「学校に行きたい、みんなと一緒に過ごしたいという気持ちがある」

「少しでも背中を押してあげないと」

妻は毎日、息子と一緒に学校に行っていました。

息子の辛い表情、立ちすくむ姿を、毎日毎日見てきました。

それでも、「背中を押す」という選択をしていました。

妻なりの、息子への愛情でした。

僕の考え:「もう休ませた方がいい」

僕は言いました。

精神科OTパパ

「このままでは、息子の心がもたない」

「学校に行かせることより、心を守ることが大切だ」


「もう休ませよう」

息子が夜20時から泣き叫ぶ姿を見て、僕はそう思いました。

朝、玄関先で震える息子を見て、「このままでは壊れてしまう」。

当時の僕には、そう感じてしまうほど追い詰められていました。

「無理せず休ませた方が良い」という考えでした。

お互いの意見が、激しく対立した

看護師ママ

あなたは毎日息子と一緒にいないから、わからないんだ

妻はそう言いました。

精神科OTパパ

お前が行かせようとするから、息子は反抗できず無理しているんじゃないか

僕はそう言い返しました。

お互いに、息子のことを思っての言葉でした。

でも、その言葉はお互いを傷つけました。

どちらが正しいという問題ではない

今振り返ると、どちらが正しいという問題ではなかったと思います。

妻の「背中を押す」という考えには、息子の「学校に行きたい」という気持ちに応えたいという想いがありました。

僕の「休ませる」という考えには、息子の心を守りたいという想いがありました。

どちらも、息子のためを思ってのことでした。

ただ、アプローチが違っただけです。

でも、当時の僕たちには、そんな風には考えられませんでした。

自分の考えが正しいと信じて、相手を否定していました。

この対立は、長く続いた

この「背中を押す」vs「休ませる」という対立は、小1の秋から小2の冬頃まで続きました。

約1年間です。

毎晩のように、同じ議論を繰り返しました。

答えは出ませんでした。

お互いに疲れ果てていました。

でも、話し合うことをやめられませんでした。

息子のために、何が正しいのか。

それを知りたかったんです。

話し合いの中で出た言葉たち

夫婦の話し合いの中で、様々な言葉が出ました。
今でも覚えている、あの時の言葉たち。

「もう限界」

妻は何度も言いました。

看護師ママ

もう限界

毎日、息子と一緒に学校に行き、教室で付き添う。

正社員からパートに変更し、有休も使い果たし、キャリアも諦めた。

職場にも迷惑をかけている。

息子の辛い表情を毎日見ている。

妻の心は、すり減っていました。

「もう限界」という言葉の裏には、「助けて」という叫びがあったのだと、今ならわかります。

「俺には何ができるんだ」

僕は何度も言いました。

精神科OTパパ

俺には何ができるんだ

僕の方が先に出勤するため、朝は妻に任せるしかない。

夜のフォローしかできない。

妻のように毎日付き添うこともできない。

仕事をしながら、時折入ってくる妻からのLINEをドキドキしながら見る。

「今日も車から降りられない」

「2時間かかってやっと教室に入れた」

そんなLINEに、励ましと感謝のLINEを送ることしかできない。

精神科作業療法士として、職場では専門家なのに、自分の息子は助けられない。

無力感で押しつぶされそうでした。

「この子の人生、どうなるんだろう」

僕たち二人とも、何度もこの言葉を口にしました。

「この子の人生、どうなるんだろう」

まだ小学生なのに、僕たちは息子の将来を悲観していました。

当時は、

「引きこもりになってしまうんじゃないか」

「社会に出られなくなってしまうんじゃないか」

と思い込み、不安で不安で、たまりませんでした。

「私たちの何が悪かったんだろう」

妻も、僕も、自分を責めていました。

「私たちの何が悪かったんだろう」

「育て方が間違っていたんだろうか」

「もっと早く気づいてあげられなかったんだろうか」

答えの出ない問いを、何度も何度も繰り返しました。

「でも、息子のために乗り切ろう」

そして最後には、いつもこの言葉に辿り着きました。

「でも、息子のために乗り切ろう」

どんなに意見が対立しても。

どんなにお互いを責め合っても。

最後には、「息子のために」という一点で、僕たちは一致していました。

その想いだけが、僕たちを繋いでいました。

お互いを責め合った日々

言い合う男女

話し合いは、時にお互いを責め合う場になりました。

妻を責めた言葉

精神科OTパパ

お前が無理やり連れて行くから、息子が苦しんでるんじゃないか

僕は妻を責めました。

毎日息子と一緒に学校に行き、教室で付き添っている妻。

その献身的な姿を見ながらも、僕は妻を責めました。

「たまには休ませてあげたらどうなんだ」

そう言う僕に、妻は泣きながら言い返しました。

「私は学校にいる間、ずっとあの子を見てる!」

「何とか頑張りたい、みんなと一緒のようにしたい、といつもチャレンジしている!」

「その気持ちをマイナスに引っ張るようなこと―休んでもいいよなんて―言わないでよ!」

僕を責めた言葉

看護師ママ

あなたは毎日息子と一緒にいないから、わからないんだ

妻は僕を責めました。

「あの子が、どういうふうに苦しんでいるか」

「毎日、どれだけ頑張っているか」

「見てないあなたには、わからない」

妻の言葉は、正しかったと思います。

僕は、息子の苦しみを本当の意味では理解していませんでした。

お互いに、余裕がなかった

今振り返ると、お互いに余裕がなかったんだと思います。

妻は毎日、息子と一緒に学校に行き、心身ともに疲れ果てていました。

僕は仕事での責任と、学校での様子の心配、何もできない無力感に苛まれていました。

二人とも、精一杯でした。

だから、相手を思いやる余裕がありませんでした。

自分の辛さで精一杯で、相手の辛さを理解できませんでした。

言ってはいけない言葉も、言ってしまった

喧嘩が激しくなると、言ってはいけない言葉も出ました。

精神科OTパパ

お前のせいだ!

看護師ママ

あなたが悪い!

そんな言葉を、お互いに浴びせ合いました。

言った後、すぐに後悔しました。

でも、一度口から出た言葉は、取り消せません。

お互いを傷つけ合いながら、それでも話し合いを続けました。

それでも、話し合いをやめなかった

お互いを責め合い、傷つけ合っても。

僕たちは話し合いをやめませんでした。

話し合わなければ、もっとバラバラになってしまう。

そんな恐怖がありました。

息子のために、家族として、何とか前に進みたい。

その一心で、話し合いを続けました。

少しずつ分かり合えた転換点

お互いを責め合う日々が続きましたが、少しずつ変化がありました。

心療内科の先生の言葉

心療内科を受診した時、先生は僕たち夫婦にこう言いました。

「お子さんは、今、すごく頑張っています。」

「まずはその頑張りを認めてあげてください。」

「親御さんが安定することが、一番大切です」

その言葉が、僕たちの心に刺さりました。

「親が安定すること」

僕たちは、お互いを責め合い、不安定になっていました。

それでは、息子を支えられない。

そう気づきました。

「俺たちが一番の味方でいないと」

ある夜、僕は妻に言いました。

精神科OTパパ

俺たちが一番の味方でいないと、息子は誰を頼ればいいんだ

妻も頷きました。

看護師ママ

そうだね。私たちが対立してたら、息子はもっと苦しむよね

お互いを責め合っても、何も解決しない。

僕たちが手を取り合わないと、息子を支えられない。

そう気づいた瞬間でした。

「ごめん」と「ありがとう」を言えるようになった

それからは、意識して「ごめん」「ありがとう」を言うようにしました。

「さっきは言い過ぎた。ごめん」

「毎日、本当にありがとう」

簡単な言葉でしたが、これが大切だったと思います。

お互いの頑張りを認め合うこと。

お互いの辛さを理解しようとすること。

それが、少しずつできるようになりました。

妻の辛さを、理解しようとした

僕は、妻の辛さを本当の意味では理解していませんでした。

毎日、息子と一緒に学校に行く。

教室で付き添い、息子の辛い表情を見続ける。

息子のクラスメイトから「先生」と呼ばれるほどになる。

その想像を絶する辛さを、僕は理解しようとしていませんでした。

でも、妻の話を聞くようになりました。

否定せず、ただ聞く。

それだけで、妻の表情が少し和らぐのを感じました。

僕の辛さを、妻も理解してくれた

妻も、僕の辛さを理解してくれるようになりました。

仕事の責任がある中、学校の様子が見えない不安。

何もできない無力感。

専門職なのに、自分の息子を助けられない情けなさ。

妻は、僕の話を聞いてくれました。

「あなたも辛いよね」

その言葉が、どれだけ救いになったか。

完全に分かり合えたわけではない

完全に分かり合えたわけではありません。

その後も、意見が対立することはありました。

でも、「お互いを責める」のではなく、「一緒に考える」ようになりました。

それが、僕たちの転換点でした。

今、妻に伝えたいこと

あれから8年。
今、妻に伝えたいことがあります。

本当にありがと

毎日、息子と一緒に学校に行ってくれて、ありがとう。

教室で付き添い、息子を見守り続けてくれて、ありがとう。

正社員からパートに変更し、有休も使い果たし、キャリアも諦めて。

それでも、息子のために全力で尽くしてくれた。

僕には、とてもできなかったことです。

あの時、責めてしまって、ごめん

「お前が無理やり連れて行くから」

そんな言葉を言ってしまって、本当にごめんなさい。

君は、息子のために必死だったのに。

僕は、君の辛さを理解しようともせず、責めてばかりいました。

今でも、あの時の言葉を後悔しています。

君の献身があったから、今がある

息子が今、毎日学校に通い、生徒会で活躍し、バレー部にも入部している。

それは、君の献身があったからです。

君が片時も離れず一番近くで寄り添い、息子の辛い表情、立ちすくむ姿を毎日毎日見てきた。

その想像を絶する辛さに耐えながら、息子を支え続けてくれた。

君がいなければ、今の息子はいません。

これからも、一緒に

息子は中学2年生になりましたが、まだまだ道半ばです。

吃音もあるし、時々不安が強くなることもあります。

これからも、色々なことがあると思います。

でも、君と一緒なら、乗り越えていけると思っています。

これからも、一緒に歩いていこう。

いつも、ありがとう。

愛しています。

まとめ

人生に正解なんてない
  • 不登校が始まり、ほぼ毎日話し合いました
  • 「背中を押す」vs「休ませる」という意見で激しく対立しました
  • お互いを責め合い、傷つけ合った日々もありました
  • 心療内科の先生の言葉や、お互いを理解しようとする努力で、少しずつ分かり合えました
  • 妻の献身があったから、今の息子があります

不登校の子どもを持つ夫婦は、話し合うことが多くなると思います。

意見が対立することもあるでしょう。

お互いを責めてしまうこともあるかもしれません。

でも、「お互いを責める」のではなく、「一緒に考える」こと。

「ごめん」と「ありがとう」を言い合うこと。

それが、夫婦で乗り越えていくために大切だと、僕は思います。

一人で抱え込まないでください。

夫婦で話し合い、時には専門家の助けも借りながら。

一緒に、歩いていきましょう。

※この記事は、一つの家族の体験談です。医療的な助言や指導ではありません。夫婦関係の専門家でもありません。お子さんの状況や夫婦の関係性に応じて、必要な場合は専門機関(スクールカウンセラー、教育相談、家族療法の専門家など)にご相談ください。

【次回予告】

夫婦で話し合い、迷い続ける中で、
僕の頭の中には、ずっと一つの問いがありました。

「息子は、なぜ学校に行けなくなったのか」

理由がわかれば、
きっと何かできるはずだと思っていました。

でも今振り返ると、
その問いかけ自体が、
息子を苦しめていたのかもしれません。

次の記事では、
僕が息子に「理由」を聞き続けていた日々と、今だから見えてきたことを、親として振り返ります。

▼次の記事
 息子の『学校に行きたくない』の裏に、何があったのか【親として振り返る】

▼前回の記事
 不登校の息子に、僕がかけるようになった声かけ5選

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この記事を書いた人

精神科OTパパのアバター 精神科OTパパ 精神科デイケアセンター(センター長)

精神科作業療法士18年×不登校経験者の父。息子の5年間の不登校を、看護師の妻と乗り越えました。中学生になった息子は、現在生徒会に入り活躍中。専門家でも無力だった体験を赤裸々に。同じ悩みを持つ親御さんへ。

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